『某日、晴れ。目覚めてからまだ自分の目では正確なカレンダーを見ていないためか、もしくは目覚めてからの情報に対し自覚し得る以上に戸惑っていたのか、先生から以前聞いた日付を忘れてしまった。こうして某日と書かざるを得なくなると、余計に感覚は薄れる。
どれもこれも毎日記録を兼ねて書かない私も悪いのだが、ここ最近は毎日のように正体がなくなるまで煮たリンゴの皿を受け取るとをほとんど啜るように食べ、本のページを適当に捲ることが延々と続いているので、このことを話せばきっと一定の割合では他人によく納得してもらえるだろう。』
『某日、晴れ。先生に風邪を移してしまったらいけないと考えて自ら部屋にこもる日々だが、時どき先生が訪ねてきて興味深い話をしてくれる。これでは私の行動に意味がない気がしなくもないが、退屈で仕方がないことには変わりはないので甘えてしまった。それから、今日も日付を聞き忘れた。朝晩は寒い。』
 日付に空白があくことを示すように、罫線にして二行ぶんを改行として経る。
その空白へ倣うように、罫線の延長上において"ないもの"を察することもなく視線を下して文字をなぞっていく。
先には主観としても客観としても整っているとは言い難い字面が、時おり頭を飛び出した癖だけを保って続いている。
縦におりる画の大袈裟はアルファベットでも日本語でも読みにくい。それでも文章を綴るリズムは長くこれを続けていくことになるのだった。
『某日、曇り。ここ数日の繰り返しは特に単調で、記憶にも残りにくい。日記を書くのを数日忘れていた。小雨が降りそうな時間もあったが、結局は降らず。鳥の声が遠い。
もはや備忘録に近いと思って使ったほうがいいのではないか。感情の整理の他に日記を書くことのメリットはないが、それすら危うい。後から見返したときのためを思っても、今の私にとって先々を考えることは、仮にすこし、すぐ近くの先のことだとしてもまるで遠い未来を考えることと同じだ。』
 ページをめくり、色葉は長いため息をついた。
それはまるで吐く息の継続時間を計り、競うもののように細く、長い呼気は大袈裟に唇の縁をなぞって「ふう」と渡る風を真似た。
 あれからというもの、國枝という男が心身ともの不調を見せることはなかった。
実は自分が眠る前は相当なひと悶着があったというのだから、互いに一時的に情緒や体調が安定しなくなるのも無理がないと説教をされたくらいだ。体感として二日、三日にいっぺんはそんなやりとりをしたことが記載されていたり、色葉自身の記憶にも新しいものとして残ったりとしているのである。
 諸々というものの一切を忘れた自分が國枝にばかり負担をさせているのではないかと考ると重ね重ねに心苦しいが、それを正直に口にしたところで常に彼は強気で語る。時に呆れ、また時には自虐のように、そして色葉に対してよく言い聞かせるように。
表情や言葉はどれもが豊かに彼の人間性を表したが、その台詞に確固たる確信を得ては信じてやまない様子であることには変わりなかった。
曰く、「それでも私が君より健康である、ということが事実なのは見ればすぐにわかることじゃないか」。
それは引っ張り上げた布団を首元まで覆うように掛けられながら、おまけを通り越して止めと言わんばかりに告げられたのである。
「悲しいことに、この現実に忘れたほうが楽なことは確かに存在する。だが実際に忘れられるということは生きる術と脳機能がよく働いた結果であり、責められるべくは自身だけではない。体調のことだって個人差の耐性を語ったとき、今回は君のほうが表面に出やすかっただけだ」
 布団を被せた胸元をとんとんと優しく叩きながら語る。それはまるで動物が仲間や子に毛繕いをする様か、乳幼児のための寝かしつけだ。
「なにも負い目に思う必要なんかないさ」
言い返したい意識はあれど、何を言い返すこともできないままの色葉に構わず國枝は続ける。
「不調や不安を打ち明けてくれて私はとてもありがたく思うからね。言いたいことは言うほうが黙っているよりずっといい。今回のようなときはもう少しはやく伝えられると助かるのも確かであるが……それは今後の信頼関係をいかにしてやっていくかということでもある話だからね」
「すみません、そんなことを言わせてしまって」
「謙遜をするなよ。どうせ本心がわからないと悩むくらいだったら、少しくらい慢心をしたほうが今の君には精神衛生上のお得だぜ」
 自分がきれいさっぱりと勝手に忘れたことの一部は國枝にとっても都合の良いことであった、と念押しに言われて色葉は目を瞑っていた。
言い返す言葉などすでに諦めていたことはもちろんのことあったが、心配を体現するかのように重ねられた掛け布団のほどよい圧迫とぬくもりで眠気がより際立っていた。
もはや夢の世界から前のめりに身を乗り出した眠気が、布団の中で手首をがっちりと掴んでいるとすら思えたのだ。
今に引きずりこまれそうに、気怠い身体はとにかく沈んでいく。
もし、このまま瞼を閉じないように踏ん張っていたとしても、すぐに無様として白眼を剥きそうだ。
しばしばと乾燥にも似て目玉が上向きになる感覚にも眠気というものは近しいと感じたのである。
 とりあえず回らない頭も、マイナス思考を加速する倦怠も一度やり過ごすべきだ。眠気が全部悪い。
そう錯覚をするし、眠気も意地悪く同意をして囁いている。
夢の世界へ手招いている。手首をがっちりと掴んだまま離さず誘うのだ。
今すぐもたらされるべく準備の整った眠りを許さないのは、いつだってタイミングを逃せば國枝にはぐらかされてしまうのではないかと自らを疑う脳みその一部だけである。
眠気を勘定にいれなくても一人では完結しないたくさんを抱えていることは自覚し得ているはずのものであるのに、正しい判断であるといえるのだろうか。色葉はそうとも感じていた。
これらの漠然とした不安と國枝の語る『忘れたほうが楽なこと』が本当に憂う必要のないことである確証と、可能であればその正体が知りたいのだ。忘れていい確信がどうしたって必要だった。
たとえそれが、今は曖昧な形をしていたとしても。
「その、やっぱり、確認をしたくて仕方がないのですけれども、それらは物騒なことではないですよね?」
「忘れていたほうがよほど平和だが、忘れずとも我々の関係にとっては嘘や劇的な変化は概ねないといって差し支えない。精々けんかの内容を思い出して、どうしようもないことに今更になってまたむかむかするくらいじゃないか。まあ、君のいう"引きこもり生活"は大いに結構だが、困ることがあれば遠慮することなくいつでも呼んでくれたまえ」
どうしようもなく変えられないことがあったとしても今更になって議論する材料となる記憶もないのだ。
暗にそう言われてはもはや納得をして何度も首を頷けるばかりであった。
 会話の全ては記憶を無くした状態から目覚めて十数日以内の出来事である。
多くの事柄において当事者でありながら『らしい』、『そうだった』、といった他人事のように刻みつけられているのは、当の自分が急に食べ物を受け付けなくなったり、とにかくひどい目眩と倦怠感に襲われていたりしたためである。
 色葉は浮かない顔で日記を書き綴っていた。
手元のノートは日記というには随分な粗末をしているもので、文庫本と同じ規格である罫線引きのノートだ。後半のページには割合が少ないながらに方眼紙のページたちも用意されている。
 銅版画のようなエッチングが美しいタッチのイラストが印刷上で添えられた懐古デザインの表紙が特徴的なノートはそこらじゅうで出回る安価なもののわりにボリュームが多い。
一、二行をつらつらと書いていくだけの備忘録である意味合いが大きいとページが埋まるのは気の遠くなる話であるが、手を動かすことを習慣にしている色葉はなるべく気にしないようにしてページをめくり、文字を綴ることを続けている。
退屈を置き換えているだけであるとも言えたが、それでいくらか紛らわせることができるならば立派に趣味だの、習慣だのと名乗ってよいと色葉は考えていた。
日付すらなく、天気だけだったり、その日たべた食事の中で印象に残ったメニューの名称だったりする。時には國枝の話した言葉の断片を書きとったものや、読んだ本の感想や、印象的な台詞の一部。そして彼が訪れると必ず一言めに話題に出る雑草抜きの進捗をメモしたものだった。
 本から書き写したものや他にメモしたものの多くが日本語で記されるのは、國枝が気を効かせて持ち込む本の多くが日本語で記されていたためである。その表紙が新品であったことも二、三度ほどあった話だ。
しかし、この生活は本来アルファベットによって記述された文字たちに溢れているはずなのだ。
 唐突な日本語の羅列は無意識下にすりこむ安堵を与えたことも事実であったが、同時に日常の気配を僅かながらに混沌へ揺るがす。
部屋を出れば日本語などひとかけらも生活には存在しないというのに、部屋に居れば定期的な供給に日本語が占める。
ジレンマだ。それを抱えながらも体調のせいで外に出ない日々が続いてしまっていると、どこの言語ということを考えなくても言語という概念が崩壊し、風に削られては理解が薄れてしまいそうだった。
逆もまた然りに、部屋から出てしまえば、記憶をなくす前の自分を長らく作り上げてきたであろう日本語は過ぎ去る日々の中で寂しく忘れ去られてしまうように思えたことも少なからず臆病と恐怖を知らしめていた。
「つまる、ところ……日本語を、忘れそうであるから、私は、これを、書いている」
 書こうとしている文字を先回って口に出し、色葉はボールペンを動かす。
当時、急に思いついて脳内に蓄積された知識を引き出すように適当な語句を文字を書けば、一応のところ会話に困らない基本文法を軸にする英語と、かなり堅苦しくて古くさい如何にも教科書通りの言い回ししかできない程度のドイツ語で表現ができるらしかった。
特に後者は単語の語彙がなく、基本的な文法が数ページにわたって巻頭に備えられた日常単語集がすぐに引ける状況でなければとても語りたいとは思えないくらいに心もとない。読み書きだけに限っていえば、確認という安堵を得れば行うことができる。
正確には操ることができるというよりは、単語をそこそこ知っているということに近い。
かくして文庫サイズのノートには三つの言語が入り混じり、そして無味無臭とは到底言えないような一画目と縦におりる一本に癖のある文字が踊っているのだった。
 さらりとしたクリームの薄紙を撫でる。指先によく馴染む紙面は文庫本のそれほどよりかは僅かに厚く、カジュアルなボールペン程度ではぎりぎり文字が裏写りをしない仕様である。
安物だ量産品だとはいえ、そこそこの品質を売りにしているのだろうということはそこはかとなく理解ができるものだった。
混沌の文字らを閉じた後に、買い与えられたノートの表紙を眺めては首をひねる。
まるで答えが浮かび上がるわけでもないというのに、手元に投げかけて疑問を口にした。
「目覚めてからすぐはすこぶる元気だったのに、なぜ」
 いまこの瞬間、部屋に色葉以外の人物は居ないが、代弁をするようにベッドサイドに置きっぱなしのスツールが答える。
何故ならば疑問を口にしてそう嘆くたびに、ここ数日の國枝は涼しい顔で軽口を叩いていたからだ。
「病み上がりで少しばかり調子に乗ったんじゃあないか?」
すました様子に近い表情と口ぶりをしながらも、からかいごとのようにどこかで楽しんでいるとも思えるその気配が彼の座っていた場所に染みついている。
そのせいでついぞスツールが語り出したかの如くに遠方から吹くそよ風に似た声が柔らかく、そして少しばかりいたずらをもってして今に聞こえる気がしたのだった。
数日前の出来事を思うと、頭の後ろで浮遊感に似た奇妙を覚える。
魂がほうっと抜け出るということは、きっと、おそらく、こういったことに類する。と、色葉はゆるゆるとした低速をする脳で考えていた。

「ええ、熱っぽい感じではないのですけど。こう、なんだか、全体的に気分が悪いのです。力という力が出ません」
 ベッドで上半身を起こしていた色葉は深刻な顔で返した。
國枝から尋ねられた体調に関する質問の答えとしては随分とぼんやりしていたが、これ以上にも、以下にもなかった。
強いて言えば冷えか疲労か、関節のどこかが軋んでいるあたりの問題から芋づる式に引っ張った先にさまざまな身体的不調がぶら下がっていたということに近い。
スツールに腰をかけてはいるが僅かに高い位置にある目を見ることが恐ろしいと思いながらも、黙っているわけにもいかないとしてこぼした極真面目に直面した問題と、その回答である。
 追われの身だというから、としてきっと國枝も迷惑をして内心苛立っているのではないかと考えていたのだ。洗いざらい吐くことの理由はそれに尽きる。
それに対する面倒くささが彼から滲み出ていることが万が一あって、それをもしも見てしまったら、誰を信じればいいのだと思っていた。
不調ゆえに、普段であれば気にもしないことだとしても、唯一頼ることのできる人物の反応が過剰に気になったのである。
なにより、どんなことがあったとしても、それに対処する自分の保身に有利なことばかりを考えてしまっていた。
「ふむ。それは何を悩むまでもなく、疲労なのではないか?」
 憂い顔の色葉に比べ、一方の國枝は色葉の予想よりもだいぶ外れたあたりの反応であっけらかんとして語った。
さっぱりとして言い切ると、顎を撫でさすりながら色葉が口にした不調を並べて心当たりへ終結する。
それらはいっそのこと弁の立つ人間がいかにも壇上へ立って語るがの如くの教授然とした貫禄だ。
「食欲も少ないようだから心配だろうが、長引かなければ大丈夫さ。覿面にどうこうっていうわけじゃあないが、少々の不足は今日(こんにち)極めて優秀なサプリメントが補ってくれるだろう。ああ、一応のところ献立は気にしているがね。つまり、君に必要なのはごく単純なことにも、ただの休息を努めて得ることである」
 余裕に満ち溢れ、ゆったりとした語りが耳によく馴染む。すると今度はいかにも医者然として人体の健康についてを知り尽くした人物のようにして他者の目には映るのだ。
例に漏れない色葉もまた、國枝に対して縋るように名を呼ぶ。
感極まる様は弦楽器のように喉を鳴らして低く震え、まるで喜びを語る歌のようであった。「せんせい……!」
 言葉の面を並べると、ただひたすらにそれらしい内容である。
単純明快に、きちんと栄養よく食事をし、そして暖かくして寝ていれば治るとも言うのだが、それらしい言葉を交えていくつかの語彙を言い換えると人間はすっかり誤魔化されて安堵をするものである。
助かった。頼りがいがある。
きっとこれを機に不調は上向きへと回復をしていくだろう。
そんな畏敬の念が込められ、天の恵みを前に感謝するような調子だった。
どことなく、優美ながらも皮肉っぽく風俗を描いた西洋絵画や勧善懲悪を説く絵本の挿絵と似た構図にもなる。
たまらず後光を書き足しそうになる話の流れであるが、断ち切ったのは國枝だ。
あまりに期待と救いを待ち望んだような目に耐えかねたのである。
 勝手な理想像上で全知全能を抱かされた気分になるが、その膨大な叡智を理解するということがただの人間には不可能であることは明瞭に自覚していた國枝は自らその像を拒む。
手のひらを色葉に見せてどうどうと制止をすると、何を恥じることもなく当然のことのように否定の意を示して頭を左右に振った。
「待ちたまえ、勘違いをしてくれるなよ。断っておくが、私は医者でないからね。本当にマズい場合は言いなさい。確かに、ヒトの身体に関する知識は一般人より多いだろうが、その困りごとに対して法に則った名前を当てはめたり、患部を切ったりする資格など当然のこと持っていない」
「えっ、じゃあ、つまり、とりあえずリンゴを食べさせておけばよいではないか、ということですか? 医者も顔を青くするとかいうらしいじゃないですか。あの、ビタミンを多く含む食べものたちは……」
「そうだなあ。栄養価が高いし、人間の一般的な生活において最も親しみある糖度の範疇であると私も思うよ。それから、私が君にそればかりを食わせるのは私の意思ではなく、君の食欲がないからよく煮込んでいると知るべきだ。しかも弱火でじっくり、ね」
 小さなパンの中身をかき混ぜる動作を示すように、國枝は振り立てた人差し指で縦方向の螺旋を描く。
そして、魔法を操る指先にも似たそれがくるくると描く軌道を、色葉は無意識の視線で追っている。
「砂糖少々の味付けも気遣いだぜ。素敵に仕上げているつもりなのだが、どうだね。いま市場で出回っているものは甘いものが多いようだから、シナモンのほうがよかった? いや、そもそもの話をすれば、最近、いよいよ私は例えて医者より魔女の気分なのだが、固形物はまだ受け付けそうにもないのかい」
 ひとりきりの際には食べる気にもならない食事であるが、固形物と聞いて、食感がなくなったものではないリンゴや、もっといえば堅焼きパンやサラダに乗せられるみずみずしいレモンの香りを風味づけた生ハム、調味料の一部としても用いることのできる魚の燻製たちを想像しては、途端に口に広がった唾液を色葉はゆっくり飲み下した。
久しく忘れてしまった塩味があまりに魅力に溢れたものに思え、口腔を刺激せんばかりの強烈な辛みとその刺々しいまでの塩味の尾が角を丸めた後に舌に残る感触が想像されると同時に喉が乾く。
 堪らず指先を彷徨わせた色葉が視線を上げれば、國枝が水差しからグラスへと水をなみなみ注いでいた。
手渡されるのはひんやりとしたグラスであるが、喉を潤すのは気遣いの末に常温に近い温度で置かれた水だ。
呷って飲み干しても、満たされると語るよりは温度を感じえないだけの液体が喉を下って流れ込んでいるという作業的な感覚に近い。
体温が高いのかもしれない、と色葉は漫然として呟きを返すばかりである。
「……冷たい水が飲みたいです」
「そうかい? しかし、身体が驚くからもう少し我慢しなさい。寝起きからさほど時間が経っていないのだろう」
「そんな話ならば、この頃は寝て起きてばかりですよ」
 口をつけたグラスの側面を指で拭い、夏に乾いた土のようになって割れかけた唇を舌でなぞる。
ビリリとした痛みは唇の上に存在しているはずであるというのに連動しているかのようにうなじを震わせ、それがなんだか悪寒に似ていると色葉は思いながら痛みの余韻が走る首の後ろに触れた。
その間に暇をするもう一方の手から、あっという間に空になったグラスを回収していく國枝の伏せた顔の角度がくつくつと喉を鳴らす。
「まあ。その様子ではね。ようするに、飽きたんだろ」色葉の些細を見逃さない目は、半分せせら笑うようなじっとりとした目元の笑みを浮かべた。
 グラスを水差しと同じ並びのトレイに戻すことと引き換えに、國枝はサイドテーブルから緩慢とした動作で本を持ち出して色葉に差し出す。暇を持て余した色葉が頼んだ内容に沿って選び出されたいくつかの本だ。
受け取る際に目に触れた背表紙を見ても、やはり日本語で書かれたものたちが中心だった。
色葉は五冊の本の表紙を順番に眺め、そして受け取った時点で一番上にされていたタイトルを再び目にしてからしれっと涼しい顔で答える。「そうなりますね」

『某日、晴れ』
 しまいに天気以外の記述がないあたりで飽き性を疑うも、やはりこの引きこもりのような生活で特に印象に残ること、というものは非常に少ない。
むしろ、この生活のせいで感覚が日増しに鈍っていくのではないかとさえ思えていた。
 ひとつ変わったことといえば、色葉がこれより前の日付に正体が危うくなるまで煮たリンゴには飽きたと訴えたことから、柔らかいパンやよく煮込まれているがさまざまな食材の歯ごたえが残ったスープや、脂身の少ない鶏肉を茹でて他の食材と和えた簡素な一品ものが少量ずつ与えられるようになったことだ。
やはりスープの味は色葉にはやや薄く感じられたものであったが、久方ぶりに甘味以外の味を得た初めての食事にはさすがに感動というものを覚えた。
日記を読み返すたびに、まだ僅かに残る感動を反芻することができるということが何よりの驚きである。
それこそが望んだ平穏であるのかもしれないが、同時に、まだ長く連なっていることが目に見えた退屈から娯楽を見出すことは想像より難しいことがより浮き彫りとなって知りえた。
 神話時代が終わり、人類が発展してくると共に娯楽も発展したのだ。
大抵のところ、暇を持て余しているうちにすぐ思いつく娯楽は既に誰かが思いついたものの二番煎じであり、確立されたルールは遊びを永遠にしない。区切りとしての終わりがある。
そんな人生の憂いや、無意識下に存在する思考の類似性についてや、突飛して宇宙の始まりについて我流極まりない哲学めいたことに片足を突っ込みそうになるころ、色葉はあることに気が付いた。
 体感で語る程度のここ二週間ちかくほどまで要したかもしれない時間を経たところで、日常のほとんどに干渉してみせた起き上がれないほどの倦怠感や悲しくなるくらいの目眩や、欲もすり減るほどの悪心が程よく消え失せていたのである。
全く感じないというわけではないが、まともな食事を少量摂ることに苦労しなくなってくると、これらの不調は徐々に『少し気になりはする程度があるが許容範囲内』である枠組みに収まっていたと後になって知った。
それらに気付いてから明らかな確信へ変わったのは、暇を持て余すことにも飽きた結果、丁寧に丁寧に午前中の時間を費やしストレッチをしていた日のことだった。
 胃腸にものがないんです。と、たまらずそう泣きつくように胃がか細く鳴ったのだ。
スプリングのあるベッドで過ごす時間が長かったせいで座ったダイニングチェアの座面が硬いことが気になったが、寝室を兼ねる自室の外で摂ることが久々の昼食もすこぶる美味いものだと思った。
「おかげさまでだいぶ良くなりました。たくさんの気遣いをいただきありがとうございます」
「それはよかった。なら、明日明後日くらいから様子をみつつ庭を散歩でもしよう。聞いていたと思うがだいぶん綺麗になってね、さぞかしきみも驚くだろう。流石にひっくり返りまではしないだろうが」
 穏やかである今でこそ思うことであるが、最も体調が悪く、惨めで、消え失せることを知らず継続する不調であったころ、非常に漠然とした死を一瞬だけ想像した。
とかく当時は内臓の内側、つまり粘膜を裏返しにして、次の日にはさらにそれをまた裏返しにして、というような表現をしたくなるような怒涛の勢いが内々で生じた日々だったのだ。
指先で皮を手繰り、内側に押し込む動作をして粘膜が外へ押し出される。吐き気と共にそんなイメージをしていた。
 実際にはさまざまな臓器がぼろ雑巾よろしくギュッと絞られるような気持ちの悪さと吐き気が、波の満ち引きのように襲いかかっていたのだった。いずれ肉体の苦痛に精神が引っ張られて、しまいには精神のほうが苦しい夜が多かったのである。
夜の間に眠れず、次の日の昼間に寝込むという悪循環を繰り返し、そのズレが一周ぶんをして日中に活動する生態としての正常へと戻っていったこともあった。
苦しみは今や波を遠くにしていたがやたらと寂しさを知る脳を以って、色葉は長いあいだ怯えるようにして布団を被っていたのだ。
 薄らながら思うに、きっと昔はこうではなかった。
昔というのは記憶を無くした夜を眠る前の自分のことで、今の自分がさらに時間を巻き戻した幼さに取り憑かれているということをまざまざと感じていた。
その恐怖を照らし、明るさが影を散らすかのように知らぬうちにリビングへ差し込む光が増えていて、色葉は目を細めて伏せる前の先日まで座っていた席にいる。
ふせっていたこの間、つまり色葉が部屋に隠らざるを得ない中の國枝はせっせと庭を整えていたのだ。
見るたび美しくなっていく庭である、と語る國枝を前に眩さとして目を細めていた。

 共に昼の食卓を囲んでからまた数日が過ぎ、換気を求めてベッドを降りては開け閉めを自分で行い、時たまリビングで昼食を共に摂るようになる頃には、色葉の心身は快復へ向けて上向きになっていた。
 ノートを手繰り寄せて色葉はペンを取る。
栄養の偏りでなおさらなよなよとする、元より根性のない細い髪の毛を一つにまとめ上げて結ぶと開いたページに文字を記すのだ。
『某日、曇りのち晴れ。この家は少々退屈かもしれない、と、國枝先生は当初語ったが、撤回をしてほしい。家はいつも甘ったるく、眠たい空気をしているのだ。退屈そのものである。そして更にその中の一室だけを拠点に生きていくことは味のないスープをわざわざ平皿にあけ、差し出されたそれを誂えた銀のスプーンで掬い、舐めとるように啜ることがまるで拷問のように思える程度には残酷である。暇つぶしの本があと一冊でも少なかったら、私は乾涸びていたであろうと強く危機を覚えた。これは忘れたいようで、忘れてはいけない感覚だ。もうこのさき数年は味わいたくない。』
 ペラペラとページを捲り、製本とじの中心で一度勢いが止まる。
そこには國枝が、色葉が不調を覚えて伏せるより前に暇つぶしのために与えた花が一輪だけ挟まれていた。
うまく押し花にでもできればよかったが、まだ乾燥が足りず、触れれば中途半端に脆くなったそれが崩れることが予想される。もしくはぐしゃりと皺が寄ってしまうだろう。結局は台無しになってしまうことだけが明白だ。
草の汁が紙面に滲み、染みて、それから乾いた後にくすんでいた。
「図鑑で見た分布は……もっと東寄りのものに似ているが園芸で好まれる系統であるらしいし、いつかの家主が持ち込んだのかな」
 特筆する品種が知れたわけではなく、たまたま見た種がアジア周辺原産であり、かつ純粋な野生のものが減っていたという記述が印象に残っていただけだと想像する。
キク科の植物に詳しくなったわけではないが、広義であれば親近感に例えてマーガレットも似たようなものだ。
八重咲きのかさなりや変に洒落た花びらのドレープもなく、オーソドックスにあの見た目のシルエットに近似したものをみて、『キク科っぽいな』と思えば三回に一回ほどしか外れることはなかったのである。
さすがに幅広い園芸種から定義と所属を当て続けることはできないが、知らない頃よりはずっと興味の引くものになっていたことは確かであった。
それらを國枝の語るような言葉で真似るならば、『人間の一般的な生活において最も親しみやすい花の形のひとつ』であろうかと色葉は考え、堅苦しい言葉遣いが妙に合う彼の姿を思い出していた。
 記したメモ書きを探し、ノートの中をひっくり返す如くの勢いでまさぐる。同時に、記憶をしまっておく引き出しのつまみをひとつひとつすこしだけ引き出して中をのぞく想像をするのだ。
メモを見つけることと、記憶上の一本線を頼りにして思い出そうとすることを同時に行う。
そのどちらでもないところで、どの方法で先に思い出すだろうか、とちょっとした娯楽として俯瞰し第三の勢力然とする己があった。
「なんだっけ。シオン……ええと、そう、そうだ。"アスター"」
 学名で語られる広義の名称であれば間違いない。変に品種めいた答えを言うより正解の幅を広げるべきだ。
己の負けず嫌いを自覚しながら、色葉は呪文を唱えるようにその単語をもう一度呟き、唇に馴染ませていた。
 脳内の引き出しが僅かに開いている。同じくして、手の中のノートもまた、日記形式で、図鑑を開いたり閉じたりしているうちにその項目を見つけたという旨が記されたページが開かれていた。