荷物は形こそ大きくとも二人で運びきれない重さではなく、軽い木製の物は一人で運び出すことができる。蔵を出てすぐのひらけた場所に敷いたビニールシートの上に少しずつ運び出される荷物は、久方ぶりに日を浴びては煤けた色の身体を焼かれて眩しそうにしている。
最初の一時間ほどこそ、重いだとか何に使うのだとかを楽しげに話している由乃の声が反対の廊下から聞こえていた。しかし、疲労から次第に言葉は減ってゆき、玄関口で顔を合わせるたびにみごと萎びていったのである。
「おれはさ、あまり背は高くはないけれどもこうみえて力持ちだから大丈夫だよ。ゆのは休んでいたらいい。大変だったでしょ」
労いの言葉にげっそりとして頷いた由乃は階段の隅に腰をかけては、運び出された荷物から処分するものの分別を箱ごとに整理していた。
伊三路といえば力持ちと自称する言葉通り担ぎ上げられる程度の大きさの物を選ぶと一人でせっせと運び出していく。上半身だけで物は掴まず膝を折り、抱えこんでから姿勢良く立ち上がるとまるでとんと軽いものであると語る勢いで荷物は浮き上がったのだった。
 次に根を上げたのは暦だった。顔を赤くしながら荷物を運び出し、やっと置き場所へ辿り着く。そして痺れる腕にまだ残る感覚を確かめるように腕をぐるぐる回すと「きゅうけい!」と、叫んでペットボトル飲料に手をかけた。
 祐は由乃と組分けを離れたことで配慮することなく、大物は力持ちを豪語する伊三路に任せ己が無理なく持ち運べるものを優先して運び出した。
最初こそ軽いものや嵩張るわりに簡素な作りのものを中心に手をかけたが、荷物の形や、位置や、運びかたに工夫ができるものであればその限りではなかった。
実際のところ、祐が無理を押して運んだのは伊三路が嫌な顔をしたようなあまりに生命に精巧を寄せた剥製程度である。
組分けに由乃がいれば最も軽いものは次々と譲ったであろうが、そのような状況にはならなかった。
だからこそ祐は少なくとも伊三路と比べれば勝ち目もない自身が長い時間働くことができるための配分を選択したのだ。
 あらかた軽いものを押し出すと、伊三路とふたりがかりでいくつかの和箪笥や、簡単な衝立や、一部の家電を持ち出す。
先にあらかた片付いた廊下では荷物を軸に立ち回ることに有利を働くのだ。
円滑な運び出しは、疲労と作業時間が比例して体力の消耗量を跳ね上げる前にことを済ませることに成功する。
額の汗を手首の甲で抑えて、祐はくしゃみをした。
ひとたび蔵から出ればうっすらと汗がにじむものの、薄暗い影に入れば浮いた汗が再び冷えていくのだ。
しかし、目の前にいる伊三路は大した疲労も見せず踵が浮くほど気持ちの良い伸びをしていた。
 間違いなく最も貢献したであろう彼が一番けろりとして元気なままでいることが不思議でならないと考える祐をよそに、暦と由乃は折りコンテナの前で小物を漁っている。
玄関口にあたる部分の砂や埃を竹箒で掃き出し、運び出した荷物に不測の雨や朝露の水がつかぬようにシートをかけていく。
幾分か疲労の和らいだ由乃はつぶれたまんじゅうのようにぶすくれた顔をし、唇をへの字に曲げては「思ったより多い荷物は結構に農具じゃないですか」と、文句を語った。
「たしかにわたしは構わないですけど、みなさんに退屈させるわけはいかないですよ。こんなことにお時間をいただいてしまって。ごめんなさい」
そう呟きながら、箪笥の引き出しや長持を片っ端から開いて中身を取り出す。時たまに宝飾品が無造作に現れ、時には古い電池がかさばっていることもある。
宝探しという言葉自体には嘘偽りがない。"掘り出し物"と、いえば最初からより想像がつきやすいのも事実であった。
 暦は古めかしい日本酒の酒蓋を見つけては「アッ」と明るい声をあげていた。
民芸品や古本をまとめたあたりを流し見てから、祐は農具や家具の周りをうろついていた伊三路を目で追う。
そしてふいに姿が見えなくなった。
 瞬きほどの出来事であったために一度は目を疑ったものの、身を屈めたのだと気付くとその姿に近づいた。
屈んだ伊三路は現代となっては使われなくなったそれらの悲しみの深さを代弁するように積もらせた埃を優しく払うと、慈しむように木の肌を撫でた。涙のように滴る泥染みの乾いた跡をなぞり、そして何度も修繕されては長く人間と歩んできた痕跡を見つけている。
「こんなにていねいな手入れをして大事にされてきたのに、いつの間にか暗いところにずっといたんだ。日の目を見られてよかったねえ」
「今の時代はどんどん新しいものが出てくるからなあ、仕方がない。と、言えば無情であると思うかね?」
 突然に割り込んできた声に伊三路と祐が弾かれて視線をあげると、そこにすらりと涼しい顔をした喜一郎が立っていた。
黒い胴に青い取手のついたバケツを片手にしており、立ち姿により濃い影が落ちた。
反面、左から照らす半身は強い光に当てられて産毛の一本ですらが輝いていた。白くなった部分が多い毛髪がチリチリと光り、それがこれから降りる帳を思わせる影と対比してより目を焼くのだ。
「あーッ! おじいちゃん! そろそろ終わっただろうって思って出てきたでしょ! 遅いッ! おっそい!」
 勢いのよい言葉を飛ばし怒りを露わにする由乃を片手で制した喜一郎はバケツを胸の高さまで持ち上げると「なあに、向こうのコンクリートを洗っておったのさ」と取手をゆらした。すると今はからっぽでいるバケツのなかで溝掃除用の短いブラシがバケツの内側に打ちつけられて騒がしく鳴った。
「それから、じじいが鬼ばばあに怒られんための工作をな。ちょこちょこと帰ってしてきたのさ」
それから、伊三路の動作をまねて泥染みのある木目に触れ、訊ねる。「して、どう思う? 伊三路よ」
 問いかけられた伊三路は少し考えるようにして再び視線を落としていたが、困ったように眉を下げ、曖昧な笑みを浮かべるとその表情とは裏腹にはっきりとした口調で答えた。
「無情であるかどうかはおれにはすこしむつかしいけれども、おれはそのどちらもをすきでいたいと思うよ」
伊三路はへらりと頬を緩めて笑うと、小首を傾げた。
会話を隣で聞いていた祐は風の向きが少しづつ変わってきて、日中の暖かさの尾に早くも夜の気配が混じりつつあるぬるい風が通り抜けるのを感じた。
ただ単なる質問であろうやりとりが大きなことの前触れに思える。二人の会話に大きく感性を揺るがすことはなかったが、この敷地に踏み入った際に感じたものと似た妙な気配が背をかけた。
 まるで外から離れと称する蔵の闇を見るなかに、カラスの羽根が濡れたような、じっとりとして生臭い水ようなものを感じた気がしたのだ。
這って皮膚に薄く浮いていた汗の存在を思い出せば、より本物としてそこに触れているような奥行きのある不気味が目を開く気がして慌てて視線を地面に落とす。
「流れの中で……そこに留まったとして、個を保ち続けることは難しい。それが時間という眩みそうに長く、大きなものであれば大きなものであるほどに」
どっと心臓の鼓動にさえ敏感になっている祐の耳に清涼な伊三路の声が触れると、深い谷の奥底に一筋の光がナイフのようにさっくりと刺さり、怖気をふたつに切り開いた。
たとえ話を数えるように指を折る伊三路が言葉を選ぶ姿を、同じくして喜一郎は光の方角から影を落としたまま静かに見下ろしていた。
「たとえば、川の流れにさからって鎮座する岩石は水流や風が肌をなでる勢いに長い時間をかけてけずられる。人間の生から語れば一見変わらないものも、磨耗をしながら、あるがままにはいられないながらも、新しい面を露わにし続ける。それが事実だ。趣ともいうことだね」
「うむ」
「反対に、真にまったくとして変わらないものがあるのならば、それはいつか忘れ去られてしまうかもしれない。いずれ普遍が本来の味をうすめて無味にしてしまうものだって、ああ、これは昔話できいたことがあるのかもしれないのだけれども」
 わずかに瞼をぴくりとさせ、手元に視線を動かしかけた伊三路にすかさず喜一郎は詰めた。
「質問に正誤は答えないか。いや、あえてずらしたな?」
現代風の洒落た下駄は一歩たりと歩を進めず、影は日の照らすぶんだけしか伸びることもない。この短い時間で目に見えて動くこともない。
そうだというのに、圧がかかった心象では鶴間喜一郎という存在は山のように聳えて伊三路や祐を訝しげに見つめていた。
そのひとつひとつが実はとじた状態の瞼であり満足がいかなければ目が開いて襲いかかってきそうなほど、深い皺の一本ですらただの老人ではない気迫を放っていた。
「ありように朽ちていくのは世の常であるというだけさ。たとえてさきの質問のようであるならば、人間が道具を道具であると思うかぎりはより利便性があるか、馴染むものにいれかえをしていくことの選択はまま迫られることだ。そしてどちらも答えは先に何を求めるかということで変わる。どちらかを選んですなわち無情であることではないとおれは考えるよ。これでも、喜一郎のききたい答えにはならないのだろうけれども」
伊三路は膝に手をついてゆっくりと立ち上がる。
 喜一郎の目をまっすぐ見て、同じくしてじっくりと見つめ返されている様を側で見ていると時間はごくゆっくりと流れていくようだった。
どちらかといえば祐にとってはあまり気分は良くないもので、妙に緊張のある空間は、そこだけが膨らんだ溜まり場になっているわりには出口が極端に小さい川の澱みだ。それに似ている。
時間の経過だけは膨らみに絶えず流れ込むために、次第に対流をして意図せず生じた渦は長らく居座った。
そこに流れ着いてしまった哀れな木の葉を逃してやるかのごとく、柔らかな伊三路の声は、沈黙の果てに言葉を付け足したのである。
「時の流れに逆らえないのは道具だけではないからね。でも、人間が操作をして本領を発揮していくものの利便性はあっというまに凄まじいところをぬりかえてしまうから、思うことがあるならば過程を大事にしてやるべきだろうね。物と口をきけなくても、そのほうがおれは心地がいい」
「ふむ。ああ、十分だ。じいい相手に説教らしくなぞよくやりおる。日ごろ物好きといわれているんじゃないのか?」
 満足するとバケツを地面に置き、喜一郎は着物の袖の中で手をこまねいた。
それから足元で意味ももなく下駄を鳴らすと満足して鼻から息をはく。
伊三路の肩はゆったりとしたまま、極めてゆらぎなく会話を続けている。
「きかれたことにおれの答えをしただけじゃないか。ただ、おれのそれもひとつの考えに過ぎないというだけだよ」
「私を含めて現代人はもっと物を大事にするべきだな。さて、いよいよなんでも譲ってやる気になったさ。お楽しみの宝探しといこうじゃないか」
 鼻歌を歌うかの如く、瞼を伏せた喜一郎は袖手にしていた中から腕を解く際に、四つの白く小さな封筒と鍵を取り出した。
それはつい数時間前に伊三路に握らせた鍵とよく似た作りをしており、素材は同じもので作られていることがよく窺える。
 持ち手の輪になっている部分に赤みの強い桃色と白の根付け紐が括られていた。くすんでしまっては日の元でも白か灰色か危うい様相をしていたが、その先についている根付けは上等であった。
家紋であろう三ツ割の花菱が向かい合っている意匠であるものの、よく見れば蝶のように立派な羽を広げた昆虫にも見える。
簡単に折れてしまわないための補強であると思われた突起部は触覚とも解釈できたところで、養蚕に関する鶴間家の歴史を思い出す。
内側から白く発光して輝くかの如く、清廉であり滑らかな根付けを揺らし、鍵は四人の前に露呈した。
とにかく目を奪われていた面々であったが、そのことには変わりがなかった。 
「ええ! まだあるの! わたしを誘うときに言ってた宝探しっていうのはでまかせだったってことにしてあげようと思ってたのにい!」
 批判と歓喜の間で迷うような声音で由乃が喜一郎を詰った。
二つ結びの髪がいまにも逆立ってしまいそうなほど感情豊かに怒りを露わにし、肩を錨のように持ち上げていたのである。
喜一郎はあまりの勢いに押されてわずかに背を逸らしながらも四人に手招きをしてすぐそばまで呼び寄せるのだ。
その瞬間、各々に浮かんでいた退屈や、怒りや、呆れが翻る。
怪談話をこっそりと語る際の仕草を真似て口元をはんぶん隠す手のかたちをすると、喜一郎は枯れ枝が頭上で覆い被さる姿のように身をわずかに屈めた。
「嘘なんかじゃない。この蔵にはもう一間存在する」
 歳をとって皮膚が垂れ、落ち窪んだ眼窩の奥から爛々とした目が老木のような姿に不相応に興奮をしていた。
錆か銅か知れぬ色をするわりにはつるりとした鍵を夕日で濡らしながら唇の笑みを深くしたが、ふいと身を引く。
「時に君たち、明日は何か予定があるのかね」
由乃が瞬きをする。
伊三路と暦はは唾を飲み込みながら、次の言葉を待った。
「本番の宝探しを今すぐにでも、と、言いたいところであるがすまない。明日も来てはくれぬか? こっちは把握の限りでも結構なものでな、今日はもう暗くなるばかりだだし、つかれたろう」
鍵と共に取り出した四つの白い封筒――ぽち袋を一人づつ手渡して喜一郎が放った言葉に祐以外の三人は拍子抜けに肩を落とした。
それから、その中身が何かを理解した面々はそれぞれの態度で遠慮の言葉でぽち袋をかわそうとする。しかし強引な、しかも行き過ぎた好好爺を前に受け取らない態度をすれば、服のポケットに捩じ込もうとするのだ。
「来られないならば代わりとはいえないが、日当にもうちっと色をつけよう。来るのが手間でなければ運び出したものからめぼしいものがないかを後日見に来てもかまわん」
「え! お金? ちょっと、これはもらえませんよ。もらえませんって!」
 暦が慌てた様子で手ぶりに否定を滲ませるが、喜一郎は突然おぼつかない痴呆老人のように振舞い、しかしおどけながら暦に迫って上着のポケットにぽち袋を捩じ込む。
「なんだと、鶴間の申し出を断るとはやりおる!」
ボケたふりが効かないならばとわざとらしく権力を振りかざす悪代官のセリフらしい言葉を放ちながら笑い、犬を撫で愛でるように優しく暦の髪を撫でた。
「そ、それならあっちにあったお酒の王冠をもらいます! けっこうかっこいいものが多いし、旧いラベルものはなかなかお目にかかれないので」
「いい、いい。なんでも持っていきなさい。これは日当と、本日のもてなし不足の詫びなのだ。小遣い程度だろうが。明日はうまい果物と昼食でも用意しよう。老舗の仕出しを頼むつもりでな、期待していいぞお」
 飛び上がりそうなほどひとりはしゃいでいる喜一郎に絡まれている暦を気の毒に眺めていると、由乃が伊三路と祐にそうっと近寄っては極めて小声で耳打ちした。「こういときはふつう〜にもらっておいたほうが面倒が少ないですよ」
目撃しただけでもすっかり押し負けた様子でおずおずと肯き、ぽち袋をポケットへしまう伊三路をよそに祐は彼女に対して疑り深い目を向けたが、未だひいひいと悲鳴を上げている暦を一瞥すると静かに頷くほかなかった。
「賃金としての分はいただく。余剰があればなにかしらで還元する」
「あー……大丈夫ですからねえ。気にせずお小遣いにしてください。初対面で馴れ馴れしいかもしれませんが、下心なくみなさんのことを孫だと思っているんですよ、懐にいれるとすぐデレデレになることがあのひとの悪いところです。金銭感覚は、まあ、おじいちゃま効果と孫かわいさですから、本当に悪気はないんです」
 その言葉にだんだんといやな予感がして背を震わせた祐は無礼の承知と詫びを由乃へ断ったでぽち袋の中身を薄目でちらりと確認し、めまいがした気がした。
それから黙らせた暦の首根っこを掴んだままこちらをみた喜一郎と目があうと、祐は自身の肩周りが強張るのを感じる。
油断も隙もなく、その祐の機微を認めた喜一郎はこれまた新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに唇の端を吊り上げるのだった。





前頁 目次