"旧い家"と評価をしても、それが、つまり『手入れのなされていない』ということには直結をしない。
喜一郎が掃除道具の一部を運ぶついでにと乗り込んだ軽トラックへ、半ば強引に同乗させられてきた祐はその堂々たる姿に息を呑んだ。
たしかに古民家と言われる部類であるが、まるで今この瞬間も人間が住んでいるかのような立派な外観をしている。
一見して天井が高く、外壁は焼き板のように重厚な色をした木目が並ぶ。養蚕に縁を持つによく見る二階建ての木造建築だ。
 生垣のマサキは伝統的な本種ではなくまんべんなく黄斑が入っており、遠目に見ると鮮やかな黄金色が霞む。
本来の深緑でもなく、調和のとれた新芽の色に似て力強いながらに愛らしい姿をしているのである。繁茂したそれらが体裁よく整えられては、聳えた背丈のまま壁のように家をぐるりと囲む角まで連なる。
「君たちに任せたい"離れ"は大して物はなかったはずだが、こまごましている。手に負えぬと判断すれば業者も呼ぶつもりだ」
何せしばらく埃を被っているんだ。風通しは時たまにしていたが。と、ぽつりぽつりと言い訳を語り、最後には「そこそこの年単位で見てないところも多くてな、年寄しかおらん家は見なそうなるんだぞ」と最後まで仕方がないことの説明をしながら白状した。
特に気にすることはなく言葉に相槌を打ち、時に気になることを聞き返す。
喜一郎の言い分は特別な理由ではなく往々にしてあり得ることであり、ましてや他人の家の状況にあれこれと口出しをつもりないのだ。
空しく空回る喜一郎の言葉に祐は静かに肯いた。
「人手が必要ならば日野春や茅間が喜んで来るでしょう」
「車を裏手のほうに回してくる」
「はい、伝えておきます」
助手席から降り、喜一郎に礼を告げてドアを閉めると軽トラックはゆっくりと進みだす。
歩き出した祐の姿を見送ってから通り過ぎていく軽トラックの中から喜一郎が顔を出しては、「その時は祐くんも来てくれんと学校まで迎えに行くからなア」と冗談でも笑えない言葉を屈託のない笑顔で放って行った。
 例えば、茅間伊三路にありあまる権力を持たせて時間をひたすら早送りにし続けたとしたら、そっくりに行き過ぎた好好爺ができあがるのではないかと祐は呆れて軽トラックの走行音が遠ざかっていくのを聞く。
それから祐は怪訝に眉を寄せたまま預かった道具を抱えると、入り口から堂々たる屋敷の土地に踏み入るのだった。
姿は見えないものの遠くから聞こえる明るい声に力が弛み、そこで初めて今まで奥歯を噛み締めていたことに気付く。
経年による劣化を目の当たりにしながらも、どこか身の縮まるような権威の面影がある場所を知識もなしに無音で進んでいくことは祐にも憚れることであったのだ。
現在の本家のように砂利敷きではない簡素な庭の今でも植木が整えられている――やわらかな土が露わになった道を進む。
 導くように点々と続く飛び石と地面の隙間から生える雑草すらもが他と比べても特筆して胸を張っているとすら感じられる。
悠然と丈の伸びた葉先を風に揺らす様は誇らしげであったが、その姿の自由と感じられる佇まいこそが現在のこの家に継続的な日常の気配がないことを示しているとも定義できた。
どこか冷たい空気をまとっている。矛盾を自覚することにもこれらの空気は静寂がすぎるはずが、いっそのこと住人が偶然に外出をしているだけで今も使われている家であると語られたほうがよほど納得が出来るのである。
 妙な不自然が根拠なく、納まりすら危うくしてぐらぐらと積み上がっているものがなかなかどうして絶妙な成立をしてしまうかのように、うまく積み重なっていた。
日あたりの問題だろうか。と、理解にも共感にも遠いことを考えながら己の中で先の問答をする。
無意味な問答の行く先や終着点の設定を勝手に想像するよりも早く実現すればいい。そもそも今日という日を終えれば無縁の話である。
茅間伊三路と初めて会った日も同じ考えをして覆された苦い記憶が口に広がる。
しかし、鶴間喜一郎と関りを継続したとしても、町に寄贈するこの家屋に近づくことは自発的な行動をしない限りこの先ほとんどといってよいほどあり得ないことだ。
つまり、今度こそこの奇妙な感覚にその場凌ぎの納得ができればいい。掃除とやらで呼びつけられた用事が済むまでの話である。
 抱えた荷物であるカゴを片方の腿を押し上げて支えながら片手でスプリングコートの襟をあわせ、祐は頭上にある太陽の傾きを仰ぎ見た。
いくつかの印象的な出来事を挙げれば想像に易い時間の経過があるような感覚が身体に流れ続けていたが、太陽は想像の想定よりも高い位置にある。
もっともこの後により陽は夏至へ向けて長くなり続けるものの、今日だけを切り取っても十二分に刺す陽だ。目頭に隔たりのような深い皺を刻んで目を細めると視界が狭まり、幾分かの光量を失せていく。
忌々しいほどさんさんと陽光を注ぐ太陽の付近から視線を外し、足を進めることを再開する。
 砂利ではないにしろ乾いた赤みのある土を踏むことを忍ばないためか、角を曲がった祐の目に映るよりも早く伊三路は歓迎の声をあげた。
まるで誰の足音が近づいているのか、と、いうことに確信を持って知っていたかのように、草葉がコロコロと転がるが如く軽やかに笑っていたのである。
離れたところで暦と由乃が二階の窓を指差しながら何かを語っている声がかすかに聞こえていた。
「おかえり、祐! 調子はどう。喜一郎は納得してくれた?」
「話をしたかったことが主な様子だった」
「そう。今日のきみはおれからすれば至って普通にみえていたから、そのようで安心した」
 元より丸く、大きな瞳をしている顔で目尻がとろりと下がっていた。頬の曲線が口角より押し上げられ、切れこみを入れたように細めた横幅のある目の表情から朗らかな笑みが広がっている。
その様は彼の持ちうる目や、鼻や唇の姿をひとつひとつ検証すれば整合性のつくものだ。しかし、垂れ目に加えて歳を重ねて重力に逆らえなくなった皮膚を被せて尚もにんまりと楽しげに笑う鶴間喜一郎が似た表情で脳裏を掠めるのである。下がった目尻と、幼さの滲む様という共通点だけで、濃茶の渋みが口腔に広がり続けるような気分になるのだ。無意識に引き結んだ口の中で、歯列の裏側をなぞっている。
祐は無意識に視線を払って会話を続けた。
「もとより気にされるほどではない」
「うん。おれが気にしているのはここ最近のところ、きみが瘴気に接触する機会がとりわけ多かったからさ。だけれども、当然のことそんな事情をしらない喜一郎はそうではなくって――」
察し得ることを促す前振りをして伊三路は器用に片目だけを閉じた。愛らしさの象徴であるウインクのような仕草ではなく、ゆっくりとした動作であり、言葉を待つ耳は己に寄せて僅かに傾く。
それだというのに、隙間はほとんど生まれないまま答え合わせを始めるのだ。伊三路は機嫌良く、そして流暢に語って聞かせた。
「初対面で呼び止めるには、素直に話があるというよりも今しがた気づいたことがあるかのように引きとめたほうが、相手が身構えないと考えたんでないかな」
『い』を発音する口の形で幼く笑った伊三路は祐の腕から荷物を預かり、それから人数分だけ道中に購入してきたらしい軍手から一双とりだして祐に代わりと言わんばかりに手渡す。
「不要だ。このままでいい。替え時であると考えていた。それに自分で用意したものではないものならば意図して消費する必要もない」
「そう? まあ、こういう態度をしておいておれが用意したものでもないのだけれども」
訝しげを露わにするわけではないが、あくまで提案と引き際の間をはかって小首を傾げる目の前の男に対し、別に相手違いの遠慮をした結果ではないと言いたげに祐は返事をする。
「中途半端に使ったとして家では似たように替え時のものを消費している。ゆえにまだ使えるからと持ち帰る必要もないし、軍手というものも少なくとも複数人で使いまわすものではない。必要な人物が使えばいい」
 会話の区切りで先導をする伊三路が歩き出したことで祐はようやく気がついたが、すでに離れである蔵から一部のものを持ち出そうとする準備をしていたのだ。まるで当然のことのように伊三路が荷物を奪い去っていったのは台車に乗せるためであったのだ。
持ち手に両手をかけてひとり楽しげに案内をする後ろ姿にどこか気の抜ける感覚を覚えながらも、無意識のところでしかめ面に似た顔になり目を細めた祐は亡霊のように後についていく。

 四人が改めて顔を合わせる際に、暦と由乃は二階の窓を指し示すような内容らしい会話をとうに終えていた。
現行のものではない農業組合のロゴマークが印刷された――つまり、今は流通や搬出などに使われていない古い折りコンテナを覗きこんでいたのだ。
そこには小さな置物や工芸品、高級な素材製ではない普段使いの調度品、文具など引き出しの中身やインテリアの一部のものが集められていた。
中にはほとんどが雑鉄や複合素材ごみにだしてしまえそうなほど破損して正体がわからなくなっているものもある。
そして、それがいままでどこに眠っていたかという答え合わせのために居るかのごとく、傍には引き出しが空になった収納家具が控えている。
離れの玄関付近で、持ち出すには重いそれらの中身を抜いていたらしかった。
「ふたりとも、祐がもどったよ。やっぱり喜一郎から掃除用具たちを預かってきてくれたみたい。軍手があるし、分別しながらできるね」
鉄製の部品がとびでたおもちゃをつまんで伊三路は笑った。
 合流に対して迎え入れる言葉をかけるふたりのあまりに自然な様に、疑問を疑問であるということを疑いかけたものの、祐は感嘆に似た息遣いで首を上下しながら家屋の天辺までを眺めた。
「離れというより……蔵だな」
「やっぱり、そう思いますよねえ。とりあえず戸をあけるために中を一周してみたんですけど、意外と生活は成り立つ設備の形跡があったんですよ。想像以上にふつうで、家っぽいです。だから離れって呼んでるのかな」
 物心ついたころにはすでに生活の拠点としては長らく使用されていなかったために離れはおろか、母屋にも足を踏み入れたのは片手で事足りる。そう前置きを示した由乃がしみじみと肯く。
相槌ではなく、明確な同意であった。
「あとから生活用のあれこれを付け足したーって感じだけど、土蔵のような見た目で囲い窓はなんだか厳重すぎて息苦しいねって話してたんです」
伊三路が台車に乗せてきた荷物を確認し、軍手を配りながら由乃は祐に状況を説明していく。
確かに物の量はかつての生活が感じられど、そこで衣食住を済ませるには少ない。どんなものがあったかということや、部屋に値する区分けのなされた内部の構造を口頭で伝えている。
「でも、一族で仲間はずれがあったなんて陰湿な話は聞いていないのでご心配なく。ま、まあ、わたしも一概には言い切れないですけど、ここで生活するお手伝いさんか、物好きの血筋がいたんだと思いたい……ですね」
軍手を身に着けながら縫製をなぞる由乃は半笑いながらに目を泳がせた。
自身の祖父のことであるから安全は確認しているであろう。と、いう思考と、突飛なことをしでかす短所を秤にかけていたのだ。それから、目の前の祐に突っ込んだ質問をされたら答えられる自信はないな、と危ぶんでいたのである。
「別に疎外された身内がいたところで未だに住み着いて存在するわけでもないのだろう。生活の気配がなければ不気味かもしれないが、そうでもない。過剰な言い方はしなくていい」
「そうですね、ありがとうございます。一緒に頑張りましょう!」
「ああ」
 少なくとも襲ってくる人間がいるのならば無事に会話をしているわけがない、と、祐は否定も肯定もない返事を返す。
オカルトの筋は信じていない様子の返事に由乃はほんのわずかだけ曖昧さを滲ませて笑みを浮かべていた。こういった話のしかたをすると、大抵の人間は由乃自身の家系に後ろ暗い権力関係や、根拠ない幽霊だの怨嗟だのといった話を好き勝手に詮索したがる興味を持つのだ。
ただ、他の二人が語る誠実には理解が進んだおかげか、会話の感覚を掴み始めて由乃は今度こそ安堵の笑顔で頷き返した。
「ええ、それではより詳細を始めましょ! 祐さんも軍手、どうぞ。かっこいい手袋が汚れちゃいますよ」
「構わない。どうせ替え時だ。。散々汚れても替えは常に持ち歩いている」
 羽織っていたコートを脱ぐ祐の言葉を受け取った由乃が疑り深くポケットのあたりに視線を向けている。故に、祐は呆れた様子で替えを見せるのだ。
そこでやっと肯くと手を叩き、そして申し訳なさそうに祐を見上げた。
「あ、もしかして潔癖です? すみません。気が回らなくて」
「……ああ、そういうことでいい。悪いな、気遣いをもらっておいて言葉が足りなかった」
祐はやりづらさを感じて、目頭がヒクつくのを自覚していた。
目の前の少女は何の違和感もなく気が付けば懐に入っているように錯覚するほど人の好い笑顔をしているというのに、それを受け入れたくない自分がまるでひどい人間ではないかと思ってしまうのだ。
恐らく、心から悪意がないのだ。降りかかる火の粉というもののすべてはきっと、この町に限っては偉大なる血族とでも崇められるほどの祖父と彼女を愛する人々によって払われてきたのだろう。
茅間伊三路とは異なる種類の、悪意なき笑みに指先が強張るのを祐は感じていた。どういう反応をすればいいのか皆目見当がつかなかったのだ。
「だから、そんなことに謝罪をするために時間は割かなくていい」
もはや最も短く終わるやりとりに徹して嘘でも真実でもない返事をして断ると、具体的に片付けの手順を確認し始める。
いくつかの確認事項を四人で共有したところで由乃が口を出す。
「わかりましたって。祐さんこそ気を楽にしてくださいね。疲れますよ」
間髪いれずに言葉が続けられる。
「さて、広すぎるわけでもなし、物が極端に多いわけでもなし。親睦を深めたいところではありますが、開始時刻も早いわけではありませんから、今回は二手に分かれましょ」
 手のひらで順番に伊三路と祐、そして暦をさし、最後に由乃は自身を示すように胸元に手を宛てがう。
「伊三路さんと祐さんは仲良しさんですし、暦さんは私とも交流がありますからこの分け方でもいいですか? 玄関の棚はみんなで運んで、それからわかれましょう。もし明日もお時間あって、来ていただけるならば組み替えも考えて。もちろん強制ではありませんからね。お礼はなるべくよいものを用意させます」
畳んだコートや伊三路がポケットから取り出した離れの掃除に不必要なものをまとめて置き、四人は喜一郎から預かってきた掃除用具たちである荷物をてきぱきとわけていく。
まるでそんな展開を予想していたかのように二組ずつ揃えられた道具たちを簡素な折りコンテナにまとめ、それぞれ持ち上げたり台車に載せたりをしてから、由乃が先陣を切って扉を押し振り返った。
「それから、片付け中に気になるものがあればなんでも好きなだけ持っていってくださって構いませんよ。許可は取ってますし、そう聞いて来てくれたんでしょ?」
「下心だけに突き動かされたわけじゃないけど、興味がないと言ったらうそになるんだよなあ」
 眉を下げて笑った暦に由乃は肘で小突きながら返す。薄暗い離れに半分身体を乗り出していると、特筆して白いわけではない彼女の腕も不必要に健康ではないように見えた。
茫洋と口を開いた暗闇に片足を突っ込んで笑っている。外気よりも明らかにひんやりとした空気が足元に漂っていた。
「ですよね~! わたしも、そんな感じで誘われたらついていっちゃうと思いますよお。基本的には不要なものなので、黙って持ち出しさえしなければ大丈夫ですよ。ものによっては交渉も可! 模造刀などでも届け出などが必要な場合があるので。そこだけお願いしますね」
懐中電灯でぼうっと照らす灯が二手に分かれてそれぞれ廊下の奥を示した。
衝立や後になってから増築した壁に隔てられるような造りをした内部は、回の字をした廊下を主に区画が派生しているものの、決して大がかりなものではない。
「たしか、この蔵――離れを開くのは五年ぶりくらいっておじいちゃんが言っていました。それよりも前ははっきり覚えていないって言っているので、まあ、ずいぶんご無沙汰って感じですね」
「五年前も掃除を?」
 光りで示す先は異なるものの、未だ背中合わせでいる先の伊三路が尋ねると、由乃は記憶を手繰り寄せるようにして唸った。
それから、その間の手持無沙汰を埋め合わせるために視界を覆わないはずの前髪をしきりに触り、懐中電灯が丸く照らす範囲は無造作に移動した。
「ごめんなさい。ちょっと思い出せそうにないですね、わたしの中では。わたしは父母と烏丸で暮らしているので、常におじいちゃんの家について知っているわけでもないんです。詳しく気になることがあればおじいちゃんに聞いてみてはいかがでしょう」
「そうさね。結構に人間が暮らしているように見えるのだけれども、入り口付近では農具も見えるから、やっぱり物置としての歴史が長いのかなと思ったんだ」
 伊三路が軍手にしっかりと手を通したことを皮切りに、特に言葉はなくともうまく二手に分かれていく。
祐は大して重くはないコンテナに入った道具たちを眺めながら懐中電灯によって丸く切り取られたかのように明るく照らされた廊下をそうっと歩いた。
足元はかたく塗り固められた作りであることを除けば一般的な屋内の造りにも見えなくはないところを土足のままに進んでいく感覚はうっそりと、そしてゆるやかに常識を塗り替えていくようだ。
 肌寒い空気が漂い、日の目を見ないせいで生白い障子紙が戸の枠でひとつひとつ区切られている様を横目に廊下を進んでいく。
前を歩く伊三路の陽気な声や、先ほど別れたばかりの二人の楽しげな会話が廊下に延々と、そしてやたらと響いている気がした。
「まず、祐も一緒に奥まで行ってみよう。大して広くはないかもしれないけれども、作業の配分が掴める方がいいって思っているでしょう?」
後半で話しかたの物真似をしているのか、台詞めいて読み上げた声色が強張った様相をし、普段よりも幾分か低い声をしている。
ふいに懐中電灯の光が隅まで照らし出すと、向かう壁が寄りあう角で張られていた蜘蛛の巣がその緻密を浮かび上がらせてきらりと光った。
「確かに間違いではない」
 生活の痕跡に似たものたちがちりばめられているものの、やはり放置されたままの家具に埃はかぶり、蜘蛛の巣が張っているのは当然のことだ。
おまけに年季の入った家具たちはどうにもごつごつと角ばっており、スイッチが幾つも並ぶやや黄ばんだ家電はずいぶん昔の型番であると思えた。と、思えば黒電話が無造作に転がっていることもある。ファックス送受信機能がついた幅を取る固定電話を見かける頃にはこの蔵が不要物入れになっていた過去があるのはいよいよ確信できるものになっていた。
それらの鎮座する空間は微かに鼻を掠める埃の匂いはするが、黴臭さはない。どちらかというと足元を固めているためか、土の匂いがしていた。
物が多い場所があれば、殆どががらんどうの場所もある。いったい何を基準に置き去りにされていったのだと祐は首を捻るばかりだ。
最奥と思わしきまで行って折り返し、戻る最中で鉄製の枠に刃にも似た凹凸がある道具をふと照らす。
よく見れば泥染みのある姿から昔は農耕で使われていたのだろうと想像できるしていると、先を歩いていたはずの伊三路がすぐ傍で口を開く。
「めずらしいかい、それ。馬や牛に引かせて畑を耕す農具だよ」
「……初めて見たが、それ以上の感情も興味もない」
「ふうん」という声と共に温度が離れていく。彼が「ふうん」と返事をするに留まることに等しく、祐にとっても農具と言われたところで「ふうん」と返す程度の話題だ。
円筒に似た形から飛び出た凹凸に服を引っかけないように離れると再び懐中電灯の丸い光の先を追う。靴底がざり、と砂を踏む。
「それにしても、こういう蔵っていうものは本来は大事なものをしまっておくことに特化した造りだろうとおれは考えていたんだ。でも、鶴間家の人たちにとっては農具をしまう蔵と大して変わらないみたいだね」
 ぐるりと周囲を照らした伊三路が語る通り、生活の中によく馴染んだものから祐にとっては一見では何の用途で使用する道具であるのか理解ができないものまである。
そのことに対しては素直に「そうだな」と返事をした。
「大体は把握したか。荷物を運び出す必要がある場合は区画の奥から攻めるが良しとも言うが、一部凹凸の多い農具があることを考えるとそれらのある手前からだな」
「承知した。先にあまり重くないものを運んで場所をあけて、それから二人がかりで重いものも運び出そう」
 提案を聞いて半分振り返った伊三路は薄暗闇の探検と力を合わせて乗り越える作業という魅力に目を輝かせて肯いた。
まるで秘密基地での極秘任務とでも言いたげに張り切って腕を回しながらかたいブレザーの袖を捲り上げようとする様を見て、先にブレザーを脱いでおけばよかったのだと口出しをしそうになる。
疎ましい小雨にしっとり濡れた後の石畳のように薄ら暗い廊下が、局所的に光を得ると余計にそれらしい説得をもって感ぜられるのだ。
祐は自身の預かり知らぬところで眉を顰め、そのせいで頭痛めいた鈍く重いものをやっと自覚した。
気が重いのか、この蔵に何かがあるのかは定かではないが、定期的に外の空気を吸うべきであろうとこの作業の中で己に言い聞かせる。
 



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