午後の授業を、普段以上の真剣と語って嘘偽りのない明らかの姿勢でいる。
その目の前の姿――それこそ机にかじりつくようにして積極的だった伊三路を、祐は何も知らないような顔で見ていた。
大方のところ、欠席と進級の因果について考えた結果の昂りだ。
声を発してなどいないというのに騒がしさすら覚える存在から視線を逸らし、シャープペンの頭をノックしながら黒板の内容を書き写すことを祐は再開するのだ。
 停滞をした教室は変化しない。
どこかよそよそしいように思えることはあっても、日常をゆっくりとした歩幅で進み、そして途方もない地平を眺めるような日々に変わりはないのだ。
ホームルームで最上にかみつく弥彦にも、暦の欠席についても、誰も特に進展はないままだ。
変わらず伊三路もよく笑い、騒がしい話題をよく持ち込む。
授業は決まりきった時間によっていくつかに区切られ、休憩時間を挟むサイクルを滞り無く遂行する。
切り分けられた時間に引き連れられては駆け足で進むそれらを他所に緩やかに空は移り変わり、日が焼け落ちるように傾いて放課後は訪れるのだ。
かくして変わらない日常はまた一日の巡りを終えるために進む。夜が来れば大半は眠るだけで、それは落ちる感覚が続くだけだった。
 はた、と気付くまでもなく祐は思う。
別に物騒を常に欲するわけでもない。
誰かに命を落としてほしかったわけでも、大騒ぎになってほしいと思っていたわけでもない。
ただ結果的に行き着いた場所に靄が残っているだけだ。
もしこれを大団円にするならば、日野春暦の少なからず育てた複雑の憎悪に似た感情は何に変換されたのだと考える。
同調の中で笑うだけならば、先送りにしただけであるし、少なくともそれだけに燃やした感情が簡単に無になるわけでもあるまい。
人付き合いを望まないが故に理解のできないことであるならば、別に理解をする必要もないのかもしれない。
必要のないことなのだろうと思うのだ。
 クラス内で聞こえるはしゃぎ声や、放課後の過ごし方を話し合う声を素通りして祐の視線はやはり、四角い枠の向こう側を見るだけだ。
底のない空の色が、祐の持つ色素の薄い目に溶け出しているかのようだった。
意図を感じさせることない底抜けの空と、凍りついた湖面を覗きこんだ際に反射をする氷の、感情がない瞳である。
光が当たると屈折によっては若葉が萌えるようにもみえる碧の色は、深く鋭く刺さる眼光として他人の柔らかな部分をひどく遠ざけるのだった。
ひんやりとした空気が、肌を円く撫でている。
 職員室へ寄り、最上に依頼されていた書類の提出を済ませた祐が昇降口の付近を通りかかる頃に、偶然として伊三路とすれ違った。
ひとりで歩いていたらしいその姿の、やや上目遣いとしてかち合った視線は特に何を語るまでもない。
悠然と風を行き渡らせる草原で葉のひとつひとつが翻る波を思わせる色をしている。
会話を目的としていないことは明白なのだ。
必要以上の言葉を求めていないふたりは互いの姿かたちを認識しながらも、どちらからともなく、すい、と視線を離す。足が止まることもない。
少なくとも、教室で「またね」と明日を告げられたのだから、それ以上も以下もない。
用があれば一言引き留めるし、そうでなければ会釈だの、はたまた視線すら交わらずに互いの行き先へ向かうだけだ。
昇降口を通り過ぎても向かう方向が一致していると、そのように当然の関わり合いの距離の感覚がなくなる。
用事がないことは理解することができても、今日という一日を普段以上に騒がしく過ごしていた男が口を閉じていることが、祐にはやたらと奇妙に思える錯覚として感じられていたためだった。
結局のところ、二人が言葉を交わすこともないまま、祐は素通りをして図書室に向かう。
この生活の舞台が普段と変わらない日常を続けることに意味があるとするならば、祐もそれに従って帰宅し、家事や勉学に励むことをするべきだった。
しかし、家に向かおうとする足は重く、頭はぼんやりと停滞をしたがる。
尾を引く瘴気による倦怠感と、感情についての落としどころに定義を求めては加速する雑念たちがどうしても、日常をするためには不要だった。
要らぬ考えだというのに、理解のできない大きな洞に意識が惹かれるのである。
率直に、家に一人でいることが苦痛だったのだ。
 理解の出来ない『何故』の納得できる理由を探し、ひとつずつ求めていくと何れ不可解な世界の表裏に及ぶ。
これこそ思考は迷路に踏み入るが如く、生産性のない時間の浪費に脳を占めることになるのだ。
帰って何かをしようとしても効率が悪いならば、生活の煩雑な音をそばにして行うほうがまだいいと考えたのである。
少なくとも、勉強か読書をする場所と脳が認識する場所へ向かえば自然と気持ちも切り替わるだろう。
そう推測をしたように、古い本における燻るように日焼けした紙の匂いと、掠れたインク、微かに鼻腔をくすぐっては喉の奥まで伝播するむず痒さを知る埃を思わせる部屋――向かう先の光景を掻き立てるそれらは、祐の脳における深い場所を刺激する。
 反対に、目は静かに静かな色をしており、気力をみなぎらせてもどこか冷たいだけになっていた。
その脳裏の景色に呼応して冴える思考はまさに割り当てられた所属の教室の最後尾とも言える席で、黒板を前にする際と同じ姿だった。
妙に冴えた思考を望むままに加速すると、水底ともいえる深い領域で冷えた客観視が無駄を排除していく。その静けさを求めているのだ。



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