心ここに在らず。
その言葉がよく似あう様子で部活棟の裏に座り込んでいた伊三路を見つけた暦は駆け寄り、身を屈めると確かめるように顔を覗き込んだ。
「あ、い、伊三路くん……! こっち、こっちだよ。大丈夫? 痛いところはない? ごめん、あるよね。痛いところ……いっぱいなんじゃない」
そして地面にぺったりと座っていた伊三路が返事をするより早く、すぐに大きな声を上げた。悲鳴のような声だ。「顔! あごのところに怪我してる! ほか、他には? 血が出るような怪我、してない? そうじゃなくても痛いところ……」
そうやってブレザーの肩に掴みかかり、そのブレザーのうちでボタンが取れていることに気付かず上着を脱がせようとした暦が勢い余っている様を見て、ようやく伊三路は心臓に血が通う感覚を思い出しては笑いを噴き出すような、それでも控えめな笑みを漏らした。
「大丈夫、大丈夫さ。すこし考え事をしていただけだから」
 されるがままに暦の胸ポケットから取り出された持ち運び応急セットに準備されていた脱脂綿で汚れを拭き取られ、清潔な絆創膏を貼られている。
ぼんやりしていた身体で居座り直し、伊三路は尻を地面につけると己の折りたたんだ膝を抱き寄せた。三角座りをしているのである。
そしてスラックスの膝が汚れるのも構わず立ち膝になり、二枚目の絆創膏の剥離紙を取り去ろうとしている暦のことを、ふくふくとした顔で見上げていたのだ。
「ごめん! 本当にごめんなさい。でも……でも僕、選べなったし、伊三路くんが無事そうで本当によかった」
気にしなくていいのにと笑って見せようとした口元に近いところに貼られた絆創膏の粘着質が皮膚を引っ張る。ガーゼを抑えるテープ部分へ伊三路の指が無意識に伸びていた。
「おれも、きみたちのための時間稼ぎができてよかった。弥彦伸司と、きちんと、ちゃんとした話ができたんだね。目が赤いし、疲れてそうだ。だのにわざわざ……おれを探してくれてありがとう」
「うん。ここが静かになったみたいだから急いで君を――そうだ! そうだ、大変なんだよ伊三路くん! 助けを求めようと思って……でも、どこまで行っても、気付けば学校に戻ってきちゃうんだ」
涙が乾いた後にぱりりとしていた目元の皮膚や、疲労の浮かぶ表情を示して語られた言葉に一瞬だけ照れはにかむような素振りを見せたが、暦は真剣な顔で続けた。
「弥彦くんの怪我もだけど……! 結崎くんの顔色も相当だから、伊三路くんが動けるなら早く出なきゃ。伊三路くん、僕にも協力させてほしい。絶対に、いや、なるべく……とにかく足は引っ張らないから……! 早く出ないと!」
「大丈夫だよ。もう出るだけだし、道程の心当たりは幾つかあるんだ。おれが先導する。まずは彼らのところに案内を頼むよ」
先ほどまで力の抜けたような、やるせないような――まるでどこか遠くを見つめるこどものような顔をしていた伊三路はすっくと立ち上がると、暦を促した。
自分が骨のない様子でふにゃふにゃとしている場合ではない、と細かな土で汚れた手のひらを構わず両の頬を思い切り叩く。
弾く音に、頬の内側まで響くぴりりとした痛みだ。瞼を一度、強く閉じると力強く瞼を開いて目を見開くと、戦いのうちに弾け飛んでしまっていた金メッキの釦を拾い上げ、取り戻す。
流れるような動きだった。まるで最初からそういったように動くことを決められていたかのように身体の軸を乱すことなく屈み、ほとんど歩を止めることなく一粒ほどのそれを拾って、ブレザーの腰のあたりに備えられたポケットへしまい込んだのだ。
そうしてから、息を大きく吸い込むと一本の線で構成された動きは継続をして、伊三路はつま先を校舎へ向けた。



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