大した規模のある造りをしていると表現できるわけでもないが、校舎と切り離されて存在する部活動用に自由に使える教室と一部の教科の資料室を兼ね備えたた別棟を繋ぐ簡素な屋内渡り廊下で二人は窓から校庭を見下ろしていた。
普段通りにやや不機嫌であると受け取られやすい祐の表情と、伊三路の丸い瞳が特徴的でどの瞬間を切り取っても小動物のようなふっくらとした表情がガラスの内側に映りこんでいる。
伊三路が何を見下ろしているのか明確には知り得ないまま、祐はぼんやりと佇んでいるのだ。
 ほどよい田舎という側面、目立った商業施設というものもまた存在しないために高いところから遠くまで見渡せばいずれは遠方に高々と聳える山に視線がぶつかる。
その山の内側である盆地はやや低い位置ながらもすっきりとして平たく、特別な娯楽施設もないが故に若者が打ち込むのは部活動などに絞られてくるのだ。
故に、盛んに行われて発展をしている。しかし別棟――仰々しく部室ばかりが並ぶ棟を兼ねて備えるに相応しい賑わいはあるものの、校庭はひとつだけなのだ。
正確には雑草がぼうぼうに生えて放置のされたミニグラウンドはあるが、それを使用するにちょうどよさそうなテニス部はもっぱら広すぎる駐車場で体育館の壁へ向かって壁打ち用に紐のついた球を打っているのである。
つまり、現状としては設備も十分でないため、広いグラウンドを必要とする競技の運動部は日替わりで校庭を取り合っているくらいだ。
職員室前のホワイトボードには多数の掲示物が存在するが、校庭のスケジュール確認以外でそこへ寄り付くものがないことは言うまでもない。
それほどに、退屈しのぎとして大役を買って出るのがこの学校の部活動であったのだ。
そして、今日という日にその権利を得たのはサッカー部らしかった。伊三路はそれを見下ろしていたのだ。
校庭で走り込みをする群れと、等間隔に配置したカラーコーンの間でサッカーボールを転がしている群れを伊三路と祐は眺めている。
そのどちらの群れでも足元では白と黒の合成皮革が張り込まれたボールが緩やかに転がり、まるで明滅をしているかのように二本足の間を往来していた。
 真面目に部活動に打ち込んでいるらしい。しかし、これらを眺めることに一体何の意味があるのだろうか。
斜め前に立つ男が何を考えているのか祐には皆目見当もつかないのだ。サッカー部の活動を見ているのか、少なからず見下ろすかたちになる街並みを見ているのか、未だに疑っている。
はたまた鳥だの、木々だのと彼らしい呑気な考えかもしれない。この放課後という時間の一瞬だとしても、これに浪費する意味を明確に知り得なければ疑問は深まる。
 祐は伊三路自身が怪異と称するそれらに向き合っている間の彼を高く評価しているのだ。
一般論としての粗はあれど、過剰な無駄足を踏まない。結果的に"そうなった"のだとしても彼自身の行動ひとつひとつには含みの持って意味のあることをしているのだと考えている。
だからこそ何を見ているのかを気にかけたし、意味がないというならばそれはそれとして彼には考えていることがあると想像していたのである。
言葉を発することもないまま待ちくたびれた祐は、いつまでも言葉を発さずにいる伊三路を見るために町や山を見下ろしていた視線を上げた。
そしてすぐ彼の表情を見る前に照りつける太陽の光に思わず目を細めた。
押し流す風の早さのままに昨日よりも流れの早い雲によって、太陽が隠されたり、再び顔を出したりして暗さと明るさを繰り返していたのだ。
目を細めたままようやく眼前の明るさに慣れると、硝子窓の内側へ映る伊三路もまたじっとりと眉根を寄せていたことに気付く。
僅かな沈黙。これから彼が何を口にするのかということを推測しようとしている。
 喉元を過ぎて飲み下す唾の感覚が喉を圧迫すると感じられるほど感覚が鋭くなっていた。
もし窓が開け放たれていたのならば、柔らかいはずの風がざらりとした砂目の表地で肌を撫でるのだと感じられただろう。
それほどに細い一本に同化した感覚が鋭くなっていた。
無意識に噛み締めていた奥歯の圧を緩め、肩の力を意識して抜こうとする。
祐がそう努める直後、薄く映り込む伊三路が硝子の内側でへらりと表情を崩した。
「ずっと祐がぎゅぎゅうーっと眉を寄せていたから真似をしてみたけれども、おれには難しい。頭が痛くなりそうだ。それも、なんだかおれに気付いてからはその皺をより深く刻むものだからさあ。もはや勝負事のように競ってしまったよ」
「そんな話がしたくて立ち止まっていたのか?」
「そうだよ、と言ったらきみがうんと怒りそうだから……答えるのはやめておく。きみが存じるであろう通り、おれは昼休みに走り回っていたでしょう」
 珍しいことに視線を逸らして、肩身が狭いと言う文字通りの表現のように内側へ両肩を丸め込む。
そして息を巻き込むように引いて笑う伊三路の掠れた声色が白々しくも、はたまた本当にそういったやりとりをしたかったかのようにも見えるすこし拗ねた佇まいでいた。
言葉たちに対して誤魔化しをするべく瞬間でもないことを前提に祐が伊三路の笑い方から推察して正しい解であると勝算を高く見積もったのは、その悪ふざけと話を始める瞬間を見計らっていたことの半分ずつで一つを満たすという解だったのだ。つまり、どちらもを兼ねる。
故に伊三路はどきりとして挙動を怪しくしたのだ。
氷の視線がじりじりと刺すような冷たさを持ち、時に熱と惑わせるように感覚を麻痺させることを知っている。
正しく伊三路は今この瞬間の己を詰め寄ろうとするそれがあまりに圧のあるもので、多少のさふざけを言い出しにくくなっていたのだった。
だからこそ半分持ち合わせた真面目の側面をいかにも『この話題のための前座だったのです』とでもいうかのように持ち出して流れを変えたのである。
「なぜならば、先にいうと昨日の"彼"は暦本人ではなかったからだ」
 言葉にピタリと動きが止まる。呆れていた表情の一切が消えた祐が動きを止めたにも関わらず慣性のままに前髪が揺れる。
伸びかかった黒髪が、見つめられればたちまち凍り付いてしまいそうな冷たい瞳を疎らに遮るのだ。その奥に刃が反射のきらめきを返すような危うい光を見る。
怪しい感覚が胸の底から天地を返そうとする妙な胸騒ぎと反対に、祐は伊三路の抑揚が薄くなった表情に緊張をしているのを肌で感じていた。
伊三路が祐の瞳の奥に非日常へ何かを思って縋りたくなるような危うさを持ち合わせるを確認したことと同様に、祐は伊三路のこの時の表情から非日常へ臨む虚無と暗がりを見出していたのだ。
互いが互いに望む日常も非日常も、満たされないばかりの羨望だけではない。極端に言えば生と死の羨望と対比だ。
反転に至ることをどこかで望みながらも現在に甘んじる臆病が見え隠れしている。それらから目を逸らしながら、曖昧な知的好奇心に心を揺らしているのだ。
ならば心臓が少し早く動くだけだと言い聞かせる。言いようもなく静かなる高ぶりが確かに存在していたからだ。
たちまち暗がりが空気をより冷たい層で覆うように漂いだす。
「だからおれは、暦が最近のうちで面識のない・もしくは関わりの薄い生徒にわざわざ感謝をされた事例を時系列で追って話を聞いて回っていたんだ。一人だけ、どの間をはかってもうまく接触できなかったのが――」
言葉を口にしかけた伊三路の視線がゆっくりと窓の外側へ向く。
 言い淀んだようだった。
普段の茅間伊三路は、どれだけ関わる頻度が少なく仮に一度きりになるにしても相手の真剣に話を聞き、等身大の反応を返してはまるで付き合いの長い友人かのように親しくする。
そして会話のうちで不意に名前を持ち出すのだ。距離を縮められていることが自覚できるにも関わらず多くの人間はそれに悪い気を起こさない。
そのようなカリスマ性を持ち、そして他人の名を一等先に覚えそうな彼が名前を言い淀んでいる。
何を言い淀むのだと祐は訝って眉を深く寄せかけたが、先程の様子で言葉を切る様に一つの仮説が浮かんで思い直す。
恐らく伊三路は顔と名前を組み合わせて覚えていると考えたのだ。
三石という生徒の名は会話の中で聞いただけであるし、直接話したこともなければ間近で顔を見たわけでもない。そう考える。
故に、勿体ぶっているのではなく、思い出せないか合致に自信がないのだ。
祐はすい、と窓際へ寄って目を細めた。
運動部さながらの様相をした生徒の数々から三石を見つけるのは困難を極める。
しかし、伊三路は思い出そうとするかなにかのきっかけにするためにそれらを眺めていたのだった。
少なくとも祐はそう考えたし、それはほとんど正解に近い形で当たっていた。
「……先日の三石という生徒か」
「うん、そういうことになるさね。話が早くて助かるよ」
祐の助け舟に伊三路は嬉しそうに顔を綻ばせては何度か頷くと閃いたような顔をしていた。
「そう、そう! 彼は三石宗吾というのだった。彼と生活を営むための感覚の間はあまり合わないようだけど、今日という日はおれたちの味方らしい。いや、今日も今日とて素晴らしい今日(こんにち)さ」
 伊三路は得意気に踵を返すと部活棟の方へ渡り廊下を往く。
ご機嫌な後ろ姿を仕方なく追いかける祐の静かな足音が廊下に響いている。
この放課後は静かと言い切るには些か生活の音が反響していたが、運動部の声や風や、自動車の往来する音が時たまに外から運ばれてくる様に対比をするならばずっと静かな方だった。
「三石に話を聞けばそのように自信が満ち溢れる程度には仮説の根拠が固まるわけか」
 硝子窓に囲まれ、構造上の都合で見通すに遮蔽物が存在しない開放的な廊下に声が響く。
硝子張りというには大袈裟であるが確かに窓と腰壁、そして最低限の柱など以外に建物を構成するものが存在しない短い渡り廊下はよく声を強調した。
伊三路と比べるとあまり元気だとは言えない祐の声量でも呟き程度のそれをしっかりと聞きとることが出来るのだ。
「九十九を百にしたほうが確実だもの。しかも昨日の"彼"がおれたちの分断に失敗した挙句、具体的な根拠を以て暦が二人いることを認めるならば"偽物の暦(かれ)"がいつ強硬手段に出るかわからない。だからすべて学校という敷地で完結が出来そうでおれはご機嫌ここに極まれり、というわけさ」
 サッカー部が校庭の使用権がない場合、さくら川の河川敷までいかなければならなかったことを示して伊三路は得意げに語っている。
暦の影を乗っ取ったであろう蝕が多くの人間に接触することを食欲を満たすための下準備である可能性が高いことを知りながらも、この段階で暦と暦の影自身が接触する可能性は低いと伊三路は考えているのだ。しかし、祐と暦のどちらかに何かがあれば駆けつけることのできる距離は保ちたいと思っているのである。
物事に優先順位を付けて量ることは生きていくうえで多く存在し、その度に選択を迫られるのだ。それでもできることなれば天秤の皿へそれらを乗せること自体を回避したいと足掻くのが人間である。
卑しくも欲しいものを恣に両腕で抱え込もうとする伊三路は傲慢と呼ばれてもその距離に心底の安堵を覚えていた。
欲しいものを恣にして己の信念を貫けるのならば他を気にしないのだ。
そうして両腕に匿ったものを平たく言うならば、この校舎内の出来事であればすぐに駆け付けることができ、有事にも戦闘以外の多くは誤魔化しと小回りが利く環境で多くを探ることに少しばかり安心している。
安堵が遠のいて環境が厳しくなるほど、伊三路は自分のためではなく他人のためを思って心に抱える石ころを多くしなくてはならない。
抱えたものを大事に守り持って飛び跳ねたり、駆けまわったりする必要があると例えるならば理解に容易いものだ。
非常に心身ともが疲弊をするということに尽きるのである。



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