年季の入った佇まいの割には定期的に人の手が加え続けられていることが確かに感ぜられるアイボリーの外壁は、日を受けて淡く発光をした色をしている。
白亜にしては雨晒しの色が強く、柔らかな舌触りのクリームを想起するにはまだ新しい色をしていた。
奥行きのない薄い灰を指の先で掬った肌の陰影を見るに、この家を売り出したいがばかりに見てくれだけのプロデュースは受けているらしい。
古いのであれば古いなりに胸を張れば良いものの、内装と比べれば過去の賛美のうちでも見栄えのするところだけを選り分けたちぐはぐを縫った姿であることが明白であるために滑稽を強くして浮き上がっていた。
色葉は率直に見てくればかり詐欺めいていることを損ではないだろうかと思考しながら、アイボリーの壁を傍を歩いている。
 外壁に沿い、南の方角へ向けて四分の一と少しほど距離をぐるりと回ればその道程である家の裏手が最も植物が繁茂していることがよくわかる。
日の当たる時間は限られるが、わずかな湿りけと涼しさがあるために一部の植物にとっては仲間を増やすに喜ばしい良い土地であるのだ。
思えばこうやって土を踏み、現在に至るまでの間でこの身体は、現実という透けるほどに薄い皮を既に脱いでいた。辛うじて後ろ髪を引くものでようやく夢の心地が栄養の不足を思い出す。
疲労を呼び込んではそれを色葉に自覚させることもないまま、何故かふわふわと覚束ぬ足という認識でファンタジーに浮かれていたのだ。
それでも己の引いたと思われる揺らいだ傍観としての線は跨がないでいる。
ただ、境界を睨めつける視神経が曖昧になって、染み出すそれを享受する思考の入り口が緩くなっていた。
故に。すぐそばに人間の生活を肌で感じながらも、浅い霧のように甘く、薄らと立ち込めていた香りはよく思想を楽観へ誘ったのだ。
『小さな光の粒がのぼる庭の情景が、まるで秘密の場所へ続いていくようである』
その表現を鬱屈した言葉なしに形作って、想像は膨らむことを許されたのである。
童話に存在する妖精が本当に居るならば、こうやって忘れ去られた場所や、人間が置いて行ったにしても確かに存在をしていた体温に残留思念として住んでいるのだろうと思えた。
密やかに呼吸を続けている。過ぎ去りし美しい思い出を飾り立てるのは美しい翅と光を細かに反射する緻密さだ。
過ぎた時間を追憶する哀愁を名残りに、鮮やかな色を掠めて今もなお息衝いているのだ。
 上半身を微かに屈めた色葉が、広げた枝葉のその腕で全てを隠し通そうとする様を押しのけては下を通り過ぎる。その先へ視界をよく巡らせていた。
そこにはどこもかしこもが境界を曖昧にしながらも、個々の色相は異なった多くの緑があった。
道中にずっと見ていた景色であることにも違いはないが、それらを反射した自然の中には緑に重なる淡い光を束ねているものがある。
忘れ去られたことで停滞した庭が同時に失くしてしまっている時間という概念を風として外から引き込もうとするさびれたガーデンアーチだ。
半蔓の特性を持つ植物が繁茂し、吸いつくサテン地の艶やかさでリボンを結んだがごとく、鮮やかな花を幾つもつけている。
ワイヤー組みの簡素な身体をよく飾り、頭上でアールを描くアーチによって道を閉じる。そして控えた先の空間への入り口を飾るのだ。
 ガーデンアーチの奥には、こぢんまりとしながらもずっと開放感のある開けた場所があった。
閉塞した場所の行き止まりである。この庭のメインディッシュともいえる、庭の景色を楽しむための贅沢を尽くした場所だ。
植え込みから距離を置いてタイル敷きにした空間を象徴するのは雨風に晒されたアイアン製の白いガーデンテーブルと、それに揃えたデザインをした二脚のガーデンチェアのセットである。
かつてのこの場所は、明日の朝食や昨日の天気といった眠たくなるまでの時間つぶしのような些事をくすぐったい囁きの内緒話として語らうための場所であったのだろう。
今や妖精のように人間に置き去りにされた概念に対して魂を与えられたものたちが静かに目を眠らせ、原初に帰結するための最果てだ。人間にとっては半分は墓場のようなものだった。
 植物の葉に覆われることを前提にした際に目立たない黒地をベースにしたガーデンアーチとは異なり、ぱっきりとした色の境界を描いている。
目を細めてよく見れば元の地は同じくざらついた黒色の質素なものであることが推測され、脚や天板としての色はアンティークを装ってわざと施したシャビーシック加工の白が目立っていたようだった。
加工の名称を冠する本来の言葉通り経年と雨晒しの劣化で随分みすぼらしくなってはいるが、それでいてもかつて汚されただけの新品姿を想像する姿よりはずっとまともに溶け込んでいる。
繁茂した植物たちの露が淡く香を立てる光の中でもそれらに侵されず線を引き、悠然と共生しているのだ。
一見には判断し難い秩序を整然として保つ場所である事実は、この世で美しいと表現されるもの全てに含まれる端くれの感情を持ち込んだように形容も憚れるほど輝いた光景である。
胸を締め付けるほどの光景は網膜にすっかり焼き付く。
少なくとも色葉にとっては、この果てで秩序の在り方を知る美しさが正しく妖精の庭と形容しても過言ではないものであった。
「いい庭だろう? 二階の部屋から外を見渡した時に気が付いてね」
立ち止まった國枝が振り向かないままで呟いた。少し冷たくなった空気を大きく吸い込む彼の身体が微かに膨らんで揺れる。
少しの沈黙の後に肩をゆったりとさせ振り返ると、立ったまま天板に透かしを施した白いガーデンテーブルを指で触れていた。
 今は木々に眠るようにひそやかなこの庭も、かつての家主にとっては趣のある自慢の庭であったことが十分に窺える。
色葉は間抜けにも唇を半開きにしたままで、首ごとぐるりと見上げて感嘆の息を漏らした。
「君が無心で雑草を抜いている間に拭きあげて、またしれっと戻ったのだけど本当に気付かなかったかい? ガラス製のピッチャーだのグラスだのをトレイに乗せて君の後ろを通ったのだが。いいや、誠実に手を貸してくれて嬉しいよ。一般的な感性において最高のロケーションと言うにはまだ拙いのかもしれないが、まあ、座りなさい」
「いいえ。きっと、一般的には十二分に素敵なロケーションですよ」
「一般的には、ということは君にはそうではないのかい」
ずっしりとした重さのある椅子を引き摺らないように丁寧に持ち上げる國枝に倣い、色葉はガーデンテーブルと同じデザインの透かし加工がされた座面に腰を掛ける。
「もしそうでなくても存外に共感が出来ないわけではない。ほら、この椅子へ腰掛けるとあのガーデンアーチのように少なからず花を咲かせている植物が繁茂したものに隠れて見えないんだ。実に惜しいものだろう?」
軽快に睫毛を瞬かせては答えを得る前にそう付け足してくつりとした笑みを浮かべる國枝に対し、色葉は白々しくおどけて見せた。大袈裟に肩を竦めてゆるく首を振る。
乾いた息が漏れて、インク切れのペンが描いたカサついた線の調子を真似たような笑みになっていた。
この景色が美しいとは思うが、花弁の肌を通った水でその身を一層と淑やかに輝かせる花に対する感動ではない。
色葉は答えがわからないままでいたことに隙間風が吹き抜けるような冷たさを自覚していたが、國枝の問いに関してだけで言えば自虐にも似た答え意外に覚えるものがなかったのだ。
「私には花を愛でる文化が根差すことはなかったので、価値に自信がないだけですよ」
足首ほどでそよぐ草丈が、ちょうど寸足らずで露出するくるぶしに微かに触れる様がじれったい。
座った姿勢のままで指先は一度足首に触れたが、タイルの隙間を割り生える草ばかりは仕方がないのである。
靴の底で踏みつぶすには流石に目の前の男が良い顔をしないであろうと色葉は身動ぎをして座り直した。
 くすぐったさを気にしないように曖昧な顔を浮かべているうちに水に浸した後に固く絞ったタオルを手渡される。色葉は素直にタオルを半分広げると手を拭いた。
雑草の繊維に長く触れていた神経がささくれだち、微かな熱を孕んでいたためにその温度が心地良かった。無意識に目が細まる感覚がして、それに逆らわずにいる。
ふと緩んだ緊張に誘われるままて口元へ手を運ぶと小さくあくびを漏らして、それを見送っては微笑みをほころばせる國枝の声を聞いていた。
「ガーデンテーブルへ至る過程の場所も、もちろん手入れをするつもりであるが。思う存分に手入れをしたら、またここで時間を過ごそう」
「いい提案だろう?」と目を伏せせ、ガラスピッチャーを傾けた國枝の鎖骨のあたりでは花の図柄を浮き上がらせたシェルカメオが特徴的なループタイが揺れている。
象牙や貝の内側のように層を幾つも重ねた白色に含まれる深みのある気品が揺れる様がガラスのピッチャーから注がれるストレートティーの色によく映えた。
手の触れるあたりで微かにくびれたグラスに煮出して粗熱を取った飲料を注ぎ、目の前に差し出す様子を色葉はずっと見つめている。
視覚に付随するように芳しく燻したような紅茶の華やかさが追いかけてきて鼻腔に触れていた。
「君がシャワーを浴びている間に煮出したものだから、まだ粗熱が取れた程度だ。冷えていなくて申し訳ない。ああ、率直にぬるいとしか言いようがないものだ。氷か、せめてミントでもあれば子供騙しでも効いただろうが」
「ふふ。まあ、こういった庭をしようと思う者がミントを地植えしたらどうなるか知らないわけがないですものね」
「そういうことだ」
 軽口じみた会話をしながらも、彼が不躾な視線を咎める言葉を口にしないことを良いことに頬の曲線をなぞるように見ていたのだ。
邪な意味を含ませた目で見ているつもりはないが、色葉には、"先生"を名乗る國枝があまりに幼く見えるもので仕方なかったのである。
彼の茶褐色に蛍石の薄片を重ねた際に灰を見出す瞳と目尻に向かって緩やかにつり上がるアーモンドの形をする曲線は、鏡に映った自身のものよりも大きく、豊かだった。
そして柔和な態度へ視覚情報としても貢献する容姿のうちでも、目元を始めとして彼を構成する線――輪郭の節々に柔らかい印象を受けることも一つの理由であった。
アーモンドの足元でツンと折れ曲がる。そのおかげで甘いながらに目尻がきりりとして、膨らんだ曲線を大きくした目元に涼しげな余裕を与えていたのだ。
人間という肉体の外側を構成する線は女性的な特徴ほどではないとはいえ、まだどこかやわな丸みを帯びていた。やや低い鼻が幼さをそれらを助長する。
外見だけの情報を切り取ればまだ二十代の後半と言っても十分に誤魔化しが効く。
経歴を考えれば少なくとも三十代には入っていると考えるのが妥当であると言われて「それもそうだな」といった感想を抱く程度である。
世の中の人間の外見に平均というものを見出すのも難しいものであるが、少なくとも色葉にとっての國枝は黙っていれば二十代であるといっても通用するような容姿をしているのだ。
経歴に相反した外見に対して疑問ばかりが泡のように底から浮かび上がる。
灰を交えた蛍石の輝きを肌に落としているような様相で赤みを孕んだ枯茶の睫毛を瞬かせていた。
次第に明確な訝しみを以て長く刺さる視線に対し流石に居心地の悪さを覚えたのか、それとも夕時を前にギラついた太陽熱から逃れて涼を得たかったのか、とにかく國枝は第一釦を解放しようとして襟元を引っ掻いた。
しばらく前に釦を失っていた襟元のつるつるした化学繊維の生地が、爪に上辺をやわく掻かれてかさついた音を鳴らすばかりだ。
そこに釦がない事に気が付くと確認するように何度か襟元を撫でる。最後に引き出されて垂れていた縫い糸をつまむと、なるべく目立たないようにしてから気恥ずかしそうに彼ははにかんだ。
「失敬した。……うん、いや。君は少し前から私を見ていたが、顔に何かついているかな」
「……先生の今の行動とは関係がないのですが、いいですか? 私を――色葉を生み出したのは本当に國枝先生……なのですか」
 足元ではない。草木の間だ。
よく伸びた茎や脇芽、葉へいのその間から薄暗い沈黙が這い出して近くに寄ってくるようだった。
自身の放った言葉に後ろめたさは全くなかったが、喉が渇く気配がする。ひどい渇きが全身を支配して、塩辛い喉の奥から得体の知れぬものが気配の頭をもたげていた。
色葉は会話を遮ることを断った後にストレートティーのグラスを傾けて一口分を飲み込むとその気配を水分で薄めようする。燻る琥珀の色を通り越して水面の屈折に歪む像を真っ直ぐに見つめた。
なるべく気になどかかっていないようなポーズで、言葉を待っていたのだ。
「いかにも。色葉を生み出したのは國枝である。それがどうかしたのかい?」
訝った色葉の視線の意味に納得をするともう興味はなくしたかのようにものともせず、國枝もまたグラスに注がれていた飲料で喉を潤した。
安堵と、それから國枝自身が抱いていた何かしらの感情が生み出していたものの行き所を発散させるように、ガーデンテーブルの透かし加工である葉のモチーフをなぞっている。
そういうことならば聞きたいことの大体は理解をしているとでもいうように目を伏せて、ふたりはそれぞれの琥珀の水面の輝きを見ていた。
どこまでも静かであるというのに、時折風にゆられて輝きを翻すストレートティーの反射のうちでも取り分けて強く、明るい色を見ているのだ。
決して何かを拒む態度ではなく、これらの疑問を当然のものとして優しく受け入れる様子であった。
個が持つ価値における柔らかく弱いところを傷つけてしまわぬように言葉を選ぶ時間が数字として焦れる様を黙って待っている。
 束の間の沈黙の中で色葉は、目覚めてこのかた國枝が自身を受け入れる肯定の態度以外のほとんどを選び取ってはいなかったことに気が付く。
それは、人と人が関わる上で一〇〇の数字にするにはあまりにあり得ないことだ。
無粋なことをいうなれば、相互理解の合致精度が高い数値を叩きだ出すほどの時間も過ごしていないのだ。至極当然の話である。
しかし、現に彼の態度は柔和そのもので色葉を受け入れていた。
軽口という振れ幅はあれどそのことに気付いた以上、色葉の中には不自然なように浮き上がるものがあった。
心臓から剥離する固い皮と、外気に触れては震える剥き出しの感情が臆病に落ちる感覚がある。
痛みや寒さに似て阻むように詰まった空気が怯える肺を強引に押し広げていた。
不自然。この言葉がいやにしっくりと胸にいて落ち着いている。
すとんと深くまで落ち込んで、あるべく感覚としてぴったりとはまっているのだ。沁みこんでいた。
毛穴が開くような感覚が怖気を呼んで背筋がぞっとしている。景色の奥行きによって身体を幾重にも折り重ね合わせる植物たちの隙間から漏れ出した暗がりがいつのまにか寄り添って空間を裂く目を開いていた。
「せん、せい……の……いや、先生は……私より年下に見える容姿をしているので、少し不思議に思ったのです。ヒトクローン体として作られた身にしても私の外見年齢はそれなりに大きくはないですか。身長以外の造りで、かつ視覚的に情報を与えられるもので、です」
「ふむ。私もよくいう典型的な日本人の顔をしているからね。君は日本人にしては目鼻立ちがはっきりしている部類に入るし、やや色素が薄い。故に海外の血筋が入っていると言われても客観として疑問を持たない見た目をしていると言えるだろう。確かに研究所は老け込んだ人間が多かったわけでもあるが……外見の差のみで語るなれば、存外に私が幼いわけでもないよ。それをずっと遡れば人類発祥までルーツを遡るだろう」
國枝はにこりとして組んだ指先の甲に顎を預けた。そして「私は君の気が済むまで人類史の話をしても構わないがね」と続けると目尻を下げる。
言葉半分に聞いて自身の髪の毛先を摘まんで色葉は呟く。
情報量に対し少し遅い言葉の調子を聞いていると、いつの間にか身体の内側が震えるような緊張は弛んでいた。
いつの間にか心に安寧を呼ぶ落ち着いた声は、色葉が意識しないところで知り得た恐怖をついぞ恐怖と知らせなかったのだ。不安はどろりとした甘い肯定に揺蕩っては溶かされている。
「人類の出現期から? あまりに大袈裟じゃあないですか。確かに外見などは最低限の身だしなみ外で自他ともに特別に気にしたことがない気がしますけれど」
言われてみれば確かに目の前に座る國枝の赤や灰が微かにたなびいた枯茶色とは異なり、己の髪の色は大量の砂糖を鍋の中で溶かして煮詰めた飴色に似ているとぼんやりと思考する。
思えば、自分や他人の容姿に特別な何かを思う生活ではなかった気が遠くでしていた。
身だしなみや身に着ける服が場違いでないことくらいは当然のこととして他人の気を害さぬよう考えていたと思うが、あまり外側に興味がなかったのだろうか。
 ぼんやりとした思考のなかで、ここに在りはしないミントの爽やかさが鼻を抜けた気がした。
それがあればまだ頭もすっきりしただろうに、と思考は横道へ逸れ続けているのだった。
濃く煮出されているストレートティーの微かなえぐみが舌に居座って痺れることで思考の糸が辛うじて繋がっている。
「大袈裟だが結局のところ、遺伝子に操られる悲しき性質(さが)が帰結するのはそこさ。比較すると骨格の特徴の上で私の方が幼く見えるのも仕方あるまい。……それで? 君が聞きたいことがこれだというには序章にも思えはしないが」
ふふん、と瞼を伏せ、与えてもいない挑発に乗るような口ぶりとそれによく似合う表情を國枝はする。
唾が喉元を通りゆく感覚を不気味とした色葉は意味のない酸素を呑み下していた。