冬の気配が近づいている。
庭に今も蔓延っている植物たちの大抵は越冬できず枯れていくのではないか。とも思うが、事実として、これだけ繁茂している姿を見るにそれだけでは語れぬものも確かにあるのだろう。
雪のちらつく季節になれば人の手を入れずとも一定の静けさを取り戻し――極論を言えば、簡単に手放す瞬間が遠くはないいずれかできたる庭を耕したいだなど滑稽であると罵られて返す言葉もないだろう。結構に物好きな話だ。
庭だなんて、二日三日でどうこうできるものでもなかろうに、とも。物好きというよりは感性が異なるためによく理解できない。
彼自身の操る言葉のくどさと感性は古い紙とインクの匂いを想像させる。古い書庫が微かに埃を被った様だ。
それから、自然光が完全には行き届かない室内と、金の糸で施した刺繍を纏い気取る赤い絨毯が良く似合う。
瞼の裏に住み着く景色の中によく焼き込まれたような古い匂いだ。
こうして閉じこんで語る表象を國枝という姿形に落とし込み、物好きだ不思議だというとなにかと都合が良かったのだ。
多年生の植物のうちでも宿根で枯れるものもあるし、球根なんかは花が終われば掘り出せというものもある。
春のために植えど冬の間に顔を出さない様からしても、結果的に冬になればその瞬間に生きているものだけが立っているのではないのか。
それだけ残して全部刈ってしまえば一番早い。という少々強引な結果に依存した自身の思考もなかなか"らしく"正当化できるものである。
 庭に縦横無尽に咲く花々は芳しい香りを振りまいていた。
甘いことには甘い匂いであるが、少しツンとして鼻に皺を寄せるものがある。ハーブ類のような清涼な青の臭いではないが、花と聞いて想像する甘い匂いが極端に強いわけでもない。
ただ、鼻腔で漂う形が角を丸めていなかった。ゆるく、淡い色をしているはずであるのに、最奥でその匂いの角が粘膜を針として尖った先端で引っ掻いたのだ。
はっとする前に霧散する匂いたちが最後、喉という細い管を通り、感覚へ落ちる際にやわらかな日の名残りである蜜の香を残す。
清く嫋やかな佇まいも、惜しむことなく布を使ったドレスにおけるドレープが翻す裏地の華やかさも、宝石のように誂えられた花期の刹那も、そうだ。
植物の生であるだけだった。よくある形容の焼き直しだ。
つまるところ、そういったものを"愛らしい"だとか"美しい"だとか形容する感性はどうやら生まれ持って備わるものではないらしいのだ。そう思考する。
何故なら今まさに、色葉はそういった感性が胸を温めてはいなかったことに気付いたからである。
色彩が散らばっているだけで、興味もないというのに連れてこられた美術展で淡々と説明をする電子ガイドの平坦な声を半分に豪奢な額縁を視線でなぞっている気分だ。
共感のない抽象画のキャンバスに塗りたくった油絵具も、地を割っていかに芸術的に咲く花も、はたまたその辺りでひょっこり顔を出した草の芽も、大して変わらない。四角に切った視界の向こう側だ。
引かれた線の向こう側へ行きたいとも思いはせず、衝立がある道順を通り過ぎるだけの景色たちだった。
 ひきちぎっては歩を進めていた己の足元に居た植物たちを見下ろす。
花へいをいくつも分岐させて群れ成す小さな花が、茎ごと身体を横たえてこちらをじっと見つめていた。暴かれて根を焼かれることを恨めしい憎いとこんこんと涙を流しているようだ。
淡い青紫の色をしている花びら故に姿や色彩が悲観をよく誘ってみせていたが、はやり目と鼻と口のないものに色葉という人間は感情を寄せることはできなかった。
「きっと花を愛でる文化が根差さなかったのだろうな、私には。恨むのなら……そうだな。星辰の巡り合わせにでも、どうぞ」
足元には随分と志半ばのような草花が散らばっていて、その中心に立って冷静になると思わず強がった言葉が出た。相手はだんまりを決め込んでいる。
口がないのだから当たり前である。見つめられているという錯覚も気まずさが被害者面をする妄想を具現としただけだ。
先の通り、植物には目も鼻も口もない。眼球も視神経もないのだから。
 段々と視線は革の靴を目指して、思考は移り変わっていく。
足元のスラックスの裾は僅かに寸足りずにの短いままであったが、この雑草抜きでは土汚れをよく回避できるし、日常においては少々視覚に窮屈を覚えさせるがぎりぎりで許容の範囲だ。
そのような場所へ出る予定もないが、厳かなフォーマルな場よりも洒落っ気を意識した色合いである。
派手すぎないためのダークトーンにブラウンをブレンドしたジャケットやスラックスは上等のものに見えるが、自分が自分のために用意する際に選択する色味ではないな、と色葉はぼんやり思っている。
いずれもスーツを土で汚してしまわないように気を遣いながら足を折りたたみ、身を小さく屈めた。上半身を丸めては、引き抜かれて虫の息をしている草花を集めている。
 時たまにタイル地が露出する庭の上辺を撫ぜる指の腹が小さな凹凸に触れる度に暴いた生の輪郭を知る。
混沌を極めながらも足元の平穏を保っていた庭は今や踏み荒らされ、掘り返された根が落とした土が惨状を語っていた。草臥れた葉の先なんかは特にだらんとして、急速に死んでいるのだ。渇いている。
秋口の風は冷たいとはいえ、傾きだした日のうちでも直射日光を遮るものがなくてはさすがに肌を焼いていた。
半分以上を水で構成する人間の表皮を焼くのだから、当然のこと土をもよく焼いていた。
熱くなった地中の水気が根を蒸すか日に晒された根が等しく焼かれるかなど、長い目で見れば些事にも思える。
そこまでいくと流石に悲観を通り越してねじくれた、それこそ『卑屈』であるが、それほどに情が湧かなかった。
國枝と植物は決して並べて語るような種別や価値をしていないが、彼以外の何かに感情を向ける際の己の冷たさに色葉は僅かに驚きを覚えていたのだ。
 夏の残滓が今に尾を引くことを思い出して最期だからと張り切っては燃え、火花を散らしている。
いつしか草花の恨めしげな目が身体へ乗り移って、色葉はさんさんと熱を注ぐ空を細められた視界で見上げた。
この尾が幽霊のようにゆうるりと泳いでいるうちを秋というだけで、四季というものは実に曖昧なのだろう。
春もまた然り。熱を注いでアスファルトを燃やすかうんと気温が下がるかが印象的なだけだ。その間の情景を何かと別の表象で埋めている。
母国から離れた場所における四季の象徴など知らぬのだからそういうものだ。人間のための定義でしかないらしかった。
その熱はスリーピースの厚着の――シャツと肌の間を挟まるように詰まっている。
体感の温度を底上げしては身体を諭し、毛穴から汗を押し出した。
肩に触れる程度の髪の毛がしっとりと汗を滲ませたうなじに貼りついて気分が悪い。
燻る熱は、胸のあたりに蔓延る靄のようだ。もしくは脳を蒸す湿度だ。
首を解放してやればいいものの、土に触れた手で払うわけにもいかないもどかしさがある。
ずっと屈んでいると、その体勢を維持することを想定していなかったかたさのある革靴が窮屈になってきて思考の端々に飽きが見えてくる。
ひとつ集中を乱すというのは、言葉の中の数字ほど優しくはない。易しくもなかった。
普段なら気にならないようなことが、弛んだひとつの分だけ気になりだしてくると不幸ばかりが連鎖するように、引き抜いた芋の蔓になぞるように、とにかくきりがなくなるものであるのである。
嫌な気配に追いつかれるより先に気分転換を兼ねて、冷えた水で喉を潤したかった。流水に手を浸したいと思っていた。
これを集めたら休憩にしよう。
戻ってくる際にはジャケットはリビングに置き去りにしよう。シワにならぬように縦半分に二つ折りにしたジャケットをリビングチェアの背凭れに丁寧に掛けておけば文句は言われまい。
そしてリボンタイも緩めて第一釦でも解放すれば幾分か風通しもよいはずである。
折り重なって草臥れる草花たちを適当に端へ寄せると、少し離れた場所でくすくすと草葉が触れ合うようにささめく笑みが鼓膜に触れた。
「そうかい? 随分な謙遜だな。それこそが自然や色彩を慈しむ感性の証明と私は考えるがね」
「……少なくとも、恨み節は自分にしてくれるなって? ただの自己弁護ですよ」
 首を引っ込めると肩が持ちあがる。瞼をすっと伏せた凪に口元だけの笑みを浮かべた色葉は自嘲に頭を小さく振った。
対する國枝は嫌味のないからりとした笑顔で居て、首を僅かに傾げてその他の言葉を促していた。
返ってこないことを自覚するには短い時間を待ちきれず、また、払いきれずに手に着いた細かい土に目もくれず、膝の上に手を付きゆっくりと立ち上がる。
緩慢とした動作に対してすら肉体に働く重力は存在しないとでも錯覚する。あまりに優雅な立ち振る舞いが雑草抜きと結びつかないくらいだ。
袖や肘といったように意識のくれてやらないところこそ土がついていないかと半身をひねらせながら色葉の隣に立つ。
 なるほど腕を組みながら彼の隣から周囲を見渡した國枝であったが、すぐに惨憺たる有様をぐるりと回した視界で認めると余裕を浮かべた口角のまま表情を薄くした。
半開きのようになった唇を閉じかけて再び言葉を紡ごうとしていたが、色葉が草を抜きながら歩を進めた背を振り返ると「ええ、いかにも私が犯人ですよ」としか言いようのない惨劇の道についぞ唇を結んだ。
屈めていた身を長くした色葉もまた、止まってしまった國枝の視線を後追いして背を振り返る。
そこには萎びた緑の中に点々と花があった。
 白だったり、薄い黄色や暖かなピンクだったり、先の薄ぺらい青紫だ。それらを圧倒的に囲うのは僅かながらに赤黄に色彩を寄せた暮れ泥みの色や、どこか埃を被ったような青を孕んだ安っぽい不透明アクリルの色をした草たちである。
等しく根を暴かれ、根に絡まった土を撒いてはいるがそれなりの体裁で端に寄せられて獣道が形成されていた。
萎びていく花びらによるしわを傾げた首の角度と水平傾ける視界で眺めている。
國枝が絶句した理由があまりに想像できないままに眉を疑問に寄せて、不安が目頭に皺として浮かぶ。緊張が下瞼を引き寄せて神経を尖らせていた。
これから死んでいく草花たちから色葉の瞳へ視線を合わせた國枝は、蛍石の薄片を乗せたような灰混じりを滲ませた茶褐色をゆっくり細めた。
行為を咎めるじっとりとした視線であったが、どこかいいように宥めるようとして下がる目尻にこの先に用意された許しが透けている。
色葉はその行為が國枝にとって咎めるだけの価値であったことはすぐに理解できたのだ。
しかし反省はしなかった。これを"意図して行った"彼にとって弁明の余地なしに反省が出来ることではなかったのだ。
「……君、それを愛でる文化がないなればないなりに私と約束しただろう? それは何だったかな。私は先の言葉を撤回はしたくないのだがね。言い分を聞こうか」
「『蕾や花のついた草花は残しておきます』ですね。しかしね、庭のレイアウトとして、この場所に繁茂しているのは気分が良くないですよ。誓って無差別に抜いたわけではありません」
「ふむ」
小指から数えた二本だけを握り込んで支えにし、開いた三本指で顎を覆うようにしてよくなぞる。
思考に耽る様でいる國枝を横にして視線もくれずにいる色葉は呟く。「無意識でしょうけど、顔が汚れますよ」
眉の根を潜め、佇んでいるだけの思考が草花を抜き去ってしまった答えを先回って汲み取ろうとしている國枝はその言葉に導かれて視線だけを己の手元に向けたが、出処である色葉の顔は見ないまま続けた。「なに、一生洗わないわけでもないさ。触れたのちの後悔ではもうずっと遅い。故に構わず。続けてくれたまえ」
前を向いたまま皮膚の切れ目である瞼から覗いた眼球が横目としてふちをなぞる。彩度の低い色がじっと低い場所からこちらを窺っていた。
思考の開示を促して一瞬の視線をよこした國枝に再び前を向くことを誘導する仕返しで、色葉は人差し指をそうっと草陰に向ける。
こうして続いた視線の応酬は行ったり来たりをした後に、結局のところオーナメントの生気のない肌に収束するのだった。
 低木を始めとする煩雑を極めた草たちの足元ではまるで生きたままを切り取った立姿である小動物のオーナメントが薄汚れて佇んでいたのだ。
傍にはガーデンピックの残骸である木材が朽ちてなお辛うじて残った骨が地面に突き刺さったままで、いやにまだらとしたものを木目の模様と見紛うほど黴に侵されていた。
「……はあ。ええ。では、あの茂みを見てください。そう、足元です。簡単な小動物のオーナメントがあるでしょう。リスか、ネズミの類ですね。とても背が低い。アプローチの階段が庭の入り口ではなくこの辺りが本来の区画分けといったところでしょう」
「ほう。君がこの庭に立ち入るのは今この瞬間が初めてだ。それは私が断言しよう。この情報量でなかなか目敏いものだな」
感嘆に言葉の間を長くする國枝は目を細め、色の濃い土の細かな粒子を肌につけていた指先をついぞ擦り込むように顎の輪郭によく触れて頷く。
彼が自身にはちっとも興味を持つことはない様子で肌を薄く汚す様を、先ほどの彼と同じ様子の横目で見ているのは色葉の方だった。
静かな湖面の凪をした息遣いと薄く埃の積もった場所に日光が差したような言葉を使う國枝の声の調子が少しばかり楽しげな色を滲ませ、語尾は弾んでいる。
 色葉は特別に目敏いわけではないとして、言葉の通りに喜ぶことはなかった。
世辞でもないことを理解すれば、異なるところに主を置くそれぞれの身体を持つ二つの脳がこの場所に在るだけなのだ。
個体が独立した思考を元に判断して見ているこの世界が異なることを自覚している。
この隔たりを自覚するということ自体がなんだか気持ちの悪いものだなあ、と思考しているのだ。
色葉にとってすればこの庭の色彩が豊かであるからこそ、灰色をしたセメントの塊である生き物に目が行くというものだ。
煩雑を同じく識りながらも潜めた他者の息遣いに辿り着くための過程は異なるようだった。
少なくとも國枝にとっては色彩を始めとして極めて煩雑であるこれらの本質は大きく落差のない、平等に近しいものであるらしい。
「ウェルカムサインでしょう。オーナメントのモチーフがよくかわいいと言われるように流行った小動物ですし、あちらには鉢らしき形骸もある。シャビーシックなガーデン・エクステリアでもあったと推測しますよ。つまり、構成上で背丈を高くするところではないのでしょう」
茂みに歩み寄り、上半身を屈めて再び身体を小さくした色葉はブドウの蔦や果実を胴にデザインしていたらしい焼きものの鉢が割れた破片をつまみ上げる。
割れた外側は苔が薄らと覆っており、砂の目の質感が指に触れた。焼き固められた砂地にしっとりとした冷たさがある。
そして控えている塩の柱よろしく生活の瞬間を固められた風体の小動物もまた、木の実を大事に匿った体勢で削り出されている。オーナメントとしての形だけがまだそこに居るらしい。
きっとこの辺りには今現在も置き去りにされたオーナメント以外にもちょっとした置物たちが居て、ジョウロや園芸鋏を始めとする日常的に使う手入れ道具でもあったのだろう。
そう思考を続ける色葉のために、朽ちていた木材の端たちは人間という生活の過去を、そして雨垂れ伝うオーナメントの哀愁は庭造り論に付随する味付けの流行り廃りを語っていた。
国の特色もあるだろうが、かつて庭用のオーナメントと言われて想像するものはウサギだのイヌだのといったいつか流行った愛でる感情のアイコンだったり、人の生活に近かったりするものたちであったのだ。
「概ね同意だ。ボーダーガーデンという庭全体の構成を示すベース手法の一つだろうね」
 くつくつと肩を煮やすように揺らし、低い笑みを噛み殺すことをいかに愉悦として表現する國枝は片眉を上げて続きを促す。
草陰に屈んだ色葉は己の居る場所が幾らか日差しから逃げ出した場所であることを思い出していた。
いつの間にか服からの露出した首の後ろにひんやりとした空気が触れている。
この場所からは日差しが描く光の帯に重なる國枝は表情を悟らせないよう白く在って、冷静にそれを見ていた。
白く飛んだ色の先を見通してやろうという魂胆ではなく、どこかここではない場所からそれらを見ているように、色葉の思考は離れた場所でそれを認識していたのだ。
それでは、今自覚した意識の宿る身体はどこへあるのだろうか。
そう思えば距離は幾重にも折り重なり、たった三メートルもないふたりの間に存在している数字が歪められてずっと遠い空間になっていくようだった。
合わせ鏡のずっと奥を見ている感覚と同じだ。
果たして何番目に悪魔はいるのかを知りたがってはじっと覗き込んで、自分の瞳の底で跳ね返った邪の愚かしさと視線をかち合うのを怖いもの見たさに待っている。
知りたくはない深淵が滲んでいた。温度を感じることのなくぬるいばかりに熱が往来している。
 気付けば國枝の指先が、色葉が先ほど得意げに拾い上げた素焼き風の鉢の欠片を受け取ろうとしていた。
欠片を経由して繋がった人の気配が、離人のように現実感のないそれへこの場所に居る意味を与えるのだと思い込むことに易い。
それほどに間を満たす空気は優しく暖かい色で震えているのだ。
はっとした後に、色葉は散る意識を寄せ集め、本来の言葉にぶら下げるために用意していた言葉の続きを得意げな態度の続きに重ねて語り出す。
身体の多くは枝葉を伸ばした草木に隠れて、身体は表面の熱を涼やかに撫ぜる冷気で静かになっている。
髪の毛先に触れては滲んだ汗の熱はとうに失われ、むしろ表皮を冷やすことを手伝っていた。
「文章でも絵でも、はたまたサブカルチャーにしても。フィクション――物語仕立ての幾つかにでも触れればわかることです」
唐突な言葉に國枝は微かに目を丸くしていた。
 矢継ぎ早に、それでも幾らか落ち着いていることを平静と装って続ける。
重いはずの唇は流暢に言葉を語りだすもので、色葉はすっかり先の感覚を"考えすぎでナーバスなだけである"という感情に結び付けた。
幸いにも他の人間と大きく変わる見た目でもないのだ。目も鼻も口も、四肢も、皮膚の下に匿う臓器の数もその他大勢の人間たちと変わりはしない。
遺伝子であったって、複製元は人間であるのだ。これをヒトと言わずに何がヒトという種族であるのだ。
この世界において"色葉(わたし)"だけが人間の形をした草花――異端であるのではない。
「起承転結におけるデティールの配分と同じですよ。此処に繁茂する必要がない。導線としても、見栄えとしても満足を与えてはいけない場所だ。精々この先のチラ見せと期待を寄せ餌といかに言わず慎むのかが美学です」
「セオリーであれば、ね。私が満足に世話をする気がなければ手っ取り早く入り口に見せ場を置くだろうが……まあ、いい。たらればは言葉が間延びするだけだ。君が退屈をする。話を戻そうか。だが、そこにオーナメントがあるからこその陰影も良いと思わないか? それとも、本当に文化は発芽せずだったかのかね」
言葉をよく咀嚼して、呑み込んだ後にこめかみの辺りに人差し指を添えた國枝は目を閉じて思考の網を更に広げる素振りを見せる。
「特別そうだとは……」と言葉尻を濁して答える色葉をの言葉を見送ってから唇を大げさに曲げては言葉に惑っていた。
脳内に散らばっている無数の言葉たちから"理屈っぽい色葉の側面にとって比較的優しく、そして理解されるであろう言葉"を探し、一つずつ拾い上げて積んでいく。
価値の相違を双方を自覚するが故に、尊重する言葉を探しているのだ。
その努力を露知らずに文字の形だけに与えられる圧に反発する色葉は納得できないまま、未だに叱られた子供よろしく眉を寄せている。
責任を他になすりつけようとする子どものような顰め面の矛先を理不尽にもかき集めた草花へ向けて視線を落としていた。
「そうか。つまり、君は物事を長い目で見ることは得意なようだ。目標へ向かって立ち止まることはないだろうね。だが、今に立つ場所はどうかな。一節毎でみた際にエンディング……いや、転の中でも一番大きな見せ場まで観客を飽きさせないために、数分間ばかりの延命である小見出しがいくつもあることなんて"物語仕立ての幾つかにでも触れればわかること"だろ?」
呆れた様子でもなく、言葉で捻じ伏せて言い聞かせる圧もない。
あくまで同じ幼さまで階段を降りてきた國枝の言葉に色葉はようやく言葉を飲み下すことが出来て、やっとというように視線は瞼ごと持ち上がる。
目の前の彼はと言えば、些か挑発に意地悪な笑みを浮かべて色葉の言葉を引用していた。
その言葉の深くまで窺っては惑う色葉の視線を迎えた國枝は手のひらに乗せていた鉢の欠片を親指と中指で縦につまみ上げて日に翻す。
反射の低いざらついた鉢の破片に遮られた視界で日が欠けている。その翳りの中で光を取り込もうとする瞳孔がゆるく開いていた。
 一節に切り分けた際の延命や揺り返しを求めるそれは、己が國枝に抱く期待と同じだ。
価値を諭す彼の言葉は、記憶を失くした色葉という"私だけ"に向けた期待が滲む。
色葉は唾を呑み込むと、叱られる子どもの顔のままではあるが静かに言葉の次を待った。
「小中大より小大中と揺らぎのある波のほうがよほど延命に向いている。何故か? 人間はギャップに弱いからさ。少なくともこの庭造り論はあるがままの美しさも織り込んでいる。計算されたものが全てではない。イレギュラーなものが価値をひっくり返すこともあるのさ。故に、わざわざ全ての芽を摘んでやる必要もない」
「不確定要素を何故そこまで優遇するのです? 余白に過ぎない可能性じゃあないですか。それこそ、"たられば"だ。存外にギャンブルじみたことを言う」
「ギャンブル、ね。あながち違いない。君の例えは些か、いや、かなり大袈裟だが。……直にわかるさ、完璧な幸福を知る者が居ればきっと口を揃えて己は今が最も幸福であると言うだけだろう? 完璧な幸福というものは完璧な幸福であるが故に退屈することと向上心を消し去るという便利な機能のおまけが付属するからね」
言葉の裏側を想像してみるも形を成さず霧散する。
やはり少しくらいは納得のいかない表情でとりあえず頷いた色葉は「……へえ、そうなんですねえ」と関心したような気の抜けた声を上げて、広げられた大きなビニール袋へ死んでいった草花を突っ込む。
その言葉半分のおざなりを笑い飛ばして言葉は帰ってきた。
「生きるだとか大人だとかというのはそういったことを覚えることさ。なんなら君の今の態度だってね。階段を上がるようなものだよ」
彼の言葉たちは、色葉にとってナイフにはならなかった。
感情へ切り込みを入れるほどには鋭くは無く、かといって何の傷も残さない訳では無い。味のしない水に似ている。
思い出した頃にじわりと、褪めた感情を濡らしているようなものだった。
 誤魔化すかのように先ほどまでの言葉を語る國枝が居た場所が如何に素晴らしいものであるかを参考程度に見てやろうとするとすっかり綺麗な場所になっていた。
元より存在した庭を彩る為に並べられたタイルと、それらを生かすように花や蕾のついた草が自然に残っている。よく見れば、整い過ぎないようにと明らかに雑草と分類されるものも僅かに残っていた。
悔しがるほどでもないがとても適わないと思うままに曖昧な空白を抱えるこの問答が収束したところでふたりが立っている場所は、草を抜きすぎて園芸用の土が敷かれた地面が大きく露出しているだけだ。寄せられた草花がなくなった獣道はさながら嵐が過ぎ去ったような光景である。
「たまに卑屈というか、辛口というか……」おどけた言葉のすぐ傍で返事をする國枝は穏やかにビニールの口を結ぶ。
「願望だよ。これらが皮肉めいて聞こえる理由を挙げるなれば理想が理想に過ぎないからさ。当たらずと雖も遠からずであるが故に、事実が浮き上がって評価されるだけだ」
名言じみて沁みる言葉に、色葉は確かにな、と思っていた。毒ほどではないが、人懐こそうな顔つきをしてよくいう。
國枝のケロリとした顔を見るとやはり皮肉屋だとか、屁理屈だとか、はたまた陰湿であるだとかいったような普遍で表せるものではないと思考していた。
気紛れも、不思議も、"そう"だった。それらの言葉は彼を正しく表現しない。
知性を失くして具体性のない言葉でいえば『俗世から離れた変なひと』なのだ。
まだ言葉を交わして幾つもない彼の外側を描く線はそれに尽きる。
これから変わりゆく内側の色の振れ幅を示唆しながらも、さりげなく『変なひと』に昇格しているくらいには、"そう"なのである。
「ああ、勘違いしないでくれよ。私は理想論が好きなんだ。……さて、君が急に疲れた顔をするものだからね。休憩にしようか」
 手に触れていたビニールを放り出すと色葉の返事を待たず身を翻し、國枝は庭の奥へ向かって歩きだした。
伸び放題の草花によって覆われ、見え隠れするタイルがどこまで続いているのかをまるで最初から見えているかのように前を歩く革靴は辿っていく。
遠ざかっていくラフなシャツの後ろ姿に対して、最初こそ家の方へ戻らないのか色葉は訝っていたが見失う前に仕方なく追いかけるのだった。
世話を疎かにされ続けた低木の枝が頬を掠めるのを手で払い、國枝よりも少し背の高い己には大きく道を阻むように枝葉を伸ばす植物たちを避けるために道に対して平行になるように半身を捩って進む。
様々な草木に囲まれた庭は甘く熟れた匂いと近付く静寂の冷たさを連想させる匂いが混ざって仄暗い温度を連想させた。
日差しに反してもうずっと冷たくなった風が吹けば、乾いては変色し、脆くなった葉を簡単に攫っていく。