偽物の日野春暦が消えて三日が経つ。
しかしその間、はれてひとつきりの身体として明確に存在を取り戻したはずの暦が授業に参加することはない。
この時間を継続してまだ昼間の教室に弥彦伸司の席と暦の席、ふたつ空席は座面を冷たくしてこの一年を共にするはずの主を待っていたのだ。
結果的に部活棟の裏で起きた出来事は空間の性質も手伝ってはいたが、想像以上に当事者以外は誰も知ることではなかった。
そして空白が様になってきた座席も特に誰が気にすることもなかった。
強いて語れば、悪意が弾けた際の圧がかなりの時差を伴って、最終時刻前の部活棟における窓という窓を騒がしく揺らした程度らしい。
かくして関連する出来事のことを、祐は騒がしい生徒たちの噂話を不可抗力のうちに聞きながら横目の視界で認識していた。
すべてが『妥当である』というその言葉で完結できる話だ。
日常生活に何一つ支障はない。
 日野春暦に大した興味を誰も抱かないだとか、弥彦伸司がいやにクラスへ圧をかけているわけでもない。
これらは排斥を意味するものではないことを祐はよく知っている。田舎とも称されるこの地域における人間関係が閉鎖的になりがちなためにおこるものだ。
山々に囲まれた程よい田舎で、川が町を縦に近い角度で横断している。そして町内は極端に寂れているわけでもなく、むしろこの塩梅を保っている以上では寂れた部分も考えようでは良い"遊び場"である始末だ。
おまけに隣の市へ向かうには山一つを超えなくてはならず、原付バイクの免許を持っていないのであればそこそこに不便な交通機関を使うほかない。
学生の金銭感覚を考えればその環境で形成される"同い年はほとんど顔見知り"がどんな答えを出すかなど限られてくるわけである。
今はどうにか立派の体裁を保ち二学年では三クラスもあるこの学校もすでに部活棟やいくつかの教室は埃を被っているし、ゆくゆくは一クラスあたりの生徒数を減らしていくのだろう。
『少人数特化の学習環境だ』などと語り出せば流行り言葉も使いようだ。
されど"ゆくゆくは"とする言葉通り現在は賑やかな学校だ。この教室の中では今も少し動けば肩がぶつかりそうな距離で話す女子生徒たちの声が聞こえてくる。
「日野春くんさあ、風邪でもひいたのかな?」
「あー、最近ちょっと調子悪そうだったしね。暦くんのおどおどしたとこが原因のアレと具合悪い時の顔色の違いって結構わかりやすいから、そうかなあとは思ったけど」
「そうそう! ウチら環境せまいのに中学で男女意識したら疎遠になるよね。あっちも川開きのときのつかみ取り大会で会うとぎこちないし。べつに水着でもないのにさ」
 声が一層高くなってきゃあきゃあとした声が耳に刺さる。
祐は不本意でありながらも結果的に盗み聞きに近い形でそれらを聞いているにも関わらず、不快を奥歯で噛み殺した。
女性特有の高い声と話題の盛り上がりに合わせて大きくなる声量がやたらと耳の奥に響いて、嫌な気になるのだ。単純にうるさい。
「それね。体育祭の男女混合ドッジでさ、弥彦が女子には妙に気遣ってか優しく投げてくんの毎年ウケてしょうがないわ」
「みんなで遊んだこと思い出して性差なく仲良くしようねみたいな伝統だっけ? 男女別みたいなのはなんかもう仕方ないかもだけど、べつに不仲でもないっつーのってね」
有象無象が如くの言葉によって語られる内容は良くも悪くも意味がない。
「でも気遣いのつもりの弥彦って逆に小学生感抜けてないとこねー。ウケる。アイツのそういうとこ嫌いじゃないから、暦くんとのギスギスも早くケリつくといいよね」
女子生徒の声がより遠くを見るような語尾で間延びしている。
一瞬だけその会話に間が生まれ、視線が惑う。しかし次の瞬間には、盛り返したようにようにはしゃいで騒がしくなる。
"黄色い声"と歓声を表すことが至極適切に思えるほどのパッとした強い光と活力に満ちて、実に騒々しく、興奮した声だ。
「ちがうよお、異性としてじゃないって! ヤダって、マジでそれだけはごめんだもん、そーいう意味では落ち着きなさ過ぎ!」
不機嫌とするよりかはまだ拗ねるように頬を膨らませた女子生徒が席を立ち、話をしながら教室を出て行く。
だらだらと廊下を歩いている最中の声が明るい様だけはしばらくこの場に残っていたが、それもなくなると急に静かになったようにすら思える。
当然のこと錯覚であるが、あれらの声を会話の参加者でなくとも聴覚に受けて消費することは労力が必要になることを想像することは難しいことではないのである。
そうやって聞いた言葉たちのように、このクラスは、あくまでこれらの人物が居ることが当然で、その日は居なくともまた戻ってくることが確約されているかのようなのだ。
このようにある意味で閉鎖的な環境が『少しばかり席を外す』という感性のうち、"少しばかり"の気にやたらと長い間を持たせることに成功したらしい。
 停滞ではない、緩やかな流れが確かにあるのだ。
むしろ、どちらかというと多くのクラスメイトが驚いたのは弥彦伸司の変化である。
弥彦はこの三日の全日をしれっと登校し、かと思えば鞄を置き去りにしてはフラフラとどこかへ行く。
そして昼休みが終わって、それからホームルームまでは机で顔を伏せて寝ていた。辛うじて授業は受けているのかいないのか、名指しをされてやっと教科書を取り出すのだ。
結局五分もしないうちに飽きて、教科担当教師が内容をどれだけを理解しているのかを確認するために出題する設問に取り掛かるのは授業の終わりから数えて一五分前ほどからのことである。
 帰りのホームルームにはしっかりと参加をし、掃除を任されれば以外にも真面目にそれを行ってから、二人分のプリントを持ち帰るのがこの三日間の弥彦の行動パターンだ。
ご丁寧に授業中に配られたプリントまでしっかり回収するために、暦の机を漁るのである。
この二年C組に所属する誰もが、何を言われなくても弥彦が持ち帰る二人分のプリントの行く末を穿って想像することなく正解を知っていた。
一応のところの勤めとしてきちんと暦の手に渡っているのか確認をしたがる最上に声をかけられると、まるで猫のような威嚇をしてから弥彦はそそくさと下校するのだから、その照れ隠しが答え合わせだった。
以前の彼であるならば「関係ねーだろ」や「うるせー」などと反抗の言葉だけは返すはずであったからだ。
元より気の長い教師でもないために、最上は最初こそ休み時間という休み時間が訪れる度に弥彦を探し回っていたと伊三路伝手に祐は聞いていたが、祐は祐ですでにあの教師がそうやって弥彦に声掛けをしようとすることを諦めていることを知っていた。
つまるところ、弥彦伸司の頭髪が未だにもはや白色ではないかと思うほどの脱色をしていることに変わりがないように、授業もろくに出なければ素行も褒められたものではなかった。
ただ、彼のなかで何かが変わったことは明確で、暦に割り当てられた空の机からプリントを取り出す際に他の生徒に茶化されても逆切れをしなかったのである。
「うるせー。俺も悪かった気がしたんだよ。いつまで持つ気まぐれかはしらねえけどよ」
そういった内容を罰が悪そうに語るのだ。故に、軽口めいた否定の返事が返ってくると思っていた生徒たちは呆気にとられていた。
 プリントを持ち帰ることの理由も、幼少期のふたりを知っていればすぐにわかることだ。
ふたりが和解をしたことをまだ知らずとも、彼らはかつて仲が良かったことや比較的に家同士が近いことも周知のことである。
それらを頭では理解していた生徒たちも、彼が素直に非を認めて明確に何かを変えようとする態度には驚きを隠せなかったのだ。
故に、この数日では暦の心配よりも、弥彦の気が触れたと聞く回数の方が圧倒的に多かったわけである。
「ここはみんな知り合いだ、みてえなことを素で言うクソちっせえ町だろ。ケンカになる理由がわんさかあんなら見直す部分だって一つや二つどころじゃねえんじゃねーのって話。おかしいなら勝手に笑えよ」
気が触れたと笑われても、弥彦は面倒くさいとでも言いたげに鼻から息を吐く。
最初こそ、弥彦が流行りものから変な知識を得たかとクラスメイトたちはざわついていた。何度も確かめるように、執拗なほど弥彦は同じことを聞き返されていた。
しかし今では授業中に生徒へ課された問題を転記したメモの言伝を寄って集って持たせているのだ。
そうすれば暦にまで届くことが嘘ではないと理解をしたらしい。正しくは他の生徒はこの手段で二人の関係性やプリントの行く先の予想に対する答え合わせをしていたのだ。
 実際にメモに書き添えたメッセージの通りに暦からはきちんとプリントを受け取っている旨の返信を受けた者も居る。
更に加えるならば、それこそ驚くことに暦の課題を提出するところまで弥彦は律儀に行っていたことが判明したのだ。
弥彦伸司がここ三日の皆勤賞をやたらと褒められるのは、自分の勉学のためではなく暦の課題を提出するという目的を果たすついでの賞賛だったというわけである。
彼自身もよく群れを成す性質をしていることや日頃の素行不良を高い棚に担ぎ上げては「今までがおかしかっただけのことだろうにバカみてえ」と語るだけだった。
辟易とした、というにはやけに晴れやかであり、周囲もそんな弥彦を歓迎している。
つまり、幼馴染のわだかまりは無傷とはかなわなくとも、大団円らしい。
 暦は留守であるが、それも『すこし席を外しているだけ』であり、元気に返ってくることが彼らの中では当然で、しかも現実味としてもほとんどが確定事項として存在しているのだ。
この皆が知り合いであるような環境であれば知ろうとさえすればいくらでも暦の状態を知ることは出来る。その安心感で教室は満ちている。
気分が華やかに盛り上がるめでたい空気を、教室の隅で祐は見ているだけだった。
そもそも輪に混ざりたいわけでも、仮に混ざりたいとしても所詮よそ者である自分が気軽に混ざるものでもない。
しかしただ一つ、祐にとっては八つ当たりめいたことを過去にしていた弥彦伸司の行動が帳消しに近いかたちで歓迎される様を理解することが出来なかったのだ。
仮にそれがちょっとした欠点ややんちゃをしていた過去と受け入れられるだけの都合があったとしても、自分はこの環境において近しいわけではないが故に理解できるわけもないのだろうと思っている。
これらをそのように処理するためには長らく蓄積した感情や思い出による記憶の美化が必要であるためだった。
ただ、原因や問題点、そして現在の着地点を結果だけで並べた際に繋がっているようで繋がっていないことに純粋に違和感を知るのだ。
水面に浮かんだ薄い膜を細い棒で掻き集められるかのような気持ちの悪さが胸に蔓延る。
何故かという答えを求めると同時に、さして進んで理解をしたがってもいないことにすぐに気付く。
本当にそう思うのか? 心から?
主語もないまま、何に対してかすら曖昧なままのことをぼんやり思う。
そして応えるかのように無意識が感情と思想を吐き出す。
考えたくない、と湧き出るようなごく単純な否定であった。
 ふ、と掠れた声が文庫本を開いたまま横目の視界に意識を向ける祐に向けて笑いかける。
「暦のことが心配?」
その声に、祐は碧の滲んだ凍りついたような青い目を声の主――伊三路へ真っ直ぐと向けた。
向けた視線が鋭い意思を持っていた。正確には『何を言いたいのだ』と問い詰めるように疑る目を向けたのである。
それが伊三路の瞳の奥まで届いて、そのごく一部が翻るように反射しては己に突き刺さった気がして祐は静かに本を閉じた。
ここには会話の意思があるらしい。
チカリと目を焼く深い緑の透明は、日常をただヘラヘラして過ごす際のものとは少々異なって、三日前を踏まえて出た言葉ということが明確なのだ。
「結果を見ている。それ以上にも以下にも興味はない」
 もはや当たり前のように机を正面で合わせ、向かいに延長した席で昼食のおにぎりを頬張る伊三路は十分に味わってからゆっくり飲み込み、口を開く。
祐は一瞥くれるだけであり、定番と化したこの状況に対し何も言わなかった。この男の耳は大抵の都合の悪さは右から左に筒抜けていくのだ。
伊三路もまた延々と話を続けるのではなく、祐の返事次第で話題が広がることもあれば、そのまま消滅して各々の時間を過ごすこともある。
疎らな返事で繋がる会話は、机を向き合わせて行われるには随分静かなものだった。
しかし、これをしていれば二人は仲良く昼食を摂っている体であるためか、互いに別の生徒や労力目当てに教室に訪れる教師に話しかけられることがほとんどない。
都合の悪さを聞かぬのならば伊三路に対してではなく、その他に対して別の利を求めるかのように面倒の種類を狭められることに利便性すら見出しているのだ。
そう考えれば騒がしい目の前の男もにも多少付き合いをするべくと考えることができると祐は言い聞かせていた。
「そう。おれには気にかけているように見えるけれど……。暦は大丈夫だよ。きっと日頃の行いが良いか、ご先祖様へのお参りを一族欠かさずしていたのさ。とにかく彼はあの気に耐性があるようにおれは感じる。だから、たぶん。本当に簡単なことだよ、きっと怪我が痛いんだ」
 閃いたことをそのまま語るかのような口ぶりに対するあまりの胡散臭さに呆れて祐は返す。
「随分な適当を言う」
鼻からゆっくりと息を吐く。
 食べかけで放置していたパッケージへ思い出したかのように仮留めの封をして、それから文庫本と共に学生鞄にしまい込む祐の様を静かに見ていた伊三路は呟くように続けた。
まるで囁くような、ただの独り言のような声音だ。
「おれはきみのことが心配だ」
それを確かに聞き取り反発するままの感情で片方の眉だけを上げている様を目の前に認めてから、伊三路は無遠慮にその手元を示す。
「それ、その棒菓子。それは個包装の二つ入りで、それぞれ二本ずつ入っていて……祐はいつも時間をかけて個包装二つぶんを食べている。でも、昨日今日は個包装ひとつか、個包装ひとつの半分しか食べられていない」
唐突に根拠めいたことを示された指の通り、祐の視線が一瞬下を向く。
想像もしなかった鋭い指摘に無意識に指先がびくりと跳ねていた。
「顔色はだいぶ良くなったようにも見える。だけれども、ここ二日のきみは食べることに時間をかけてすらいないじゃない。元気がないわけではないって、本当に言える?」
「一箱で栄養素が完結する目安を実行しているだけで、許容に対し無理を押して摂る必要など全くない。気分だ、と言って通じないのか」
「きみが休むべく時に休まない理由にはならないんじゃないかな。どうして? 休んじゃったらだめなの?」
丸い目を不思議そうにしている。
最初こそ真っ当な会話として返そうとしていた祐であるが、心から純粋な疑問を浮かべている伊三路の頑ながだんだんと面倒臭く思えてくると茶を口に含み、飲み下してから静かに口にした。
簡単なことである。
生活に求められる暗黙の了解に対する仕組みやそれに則ろうとする意味を語っても、体調の不良があるという面の感情と長い目で体調管理をするべく事実を返されるならばこの会話は平行線に他ならない。どちらも日常を送る意味でそれぞれがそれぞれの面で正解と不正解をしている話を競わせてたところで、おさまり良く整った上に有益な答えが出るわけがないのだ。
「……高等学校は義務教育ではない。軽率に、そしてやたらと休むとどうなるか知っているか」
 わざとらしいまでに大きくため息を吐いた祐は伊三路を見やるようなことこそしなかったが、言い聞かせるように語気を僅かに強め、そしてゆっくりと話を続ける。
鋭い目と語り口の圧に背筋を思わず伸ばした伊三路が、膝に手を着いて緊張をしてみせた。
深刻な様相をするうつむき気味の顔を見てはごく、と喉を鳴らして言葉の次を待っている。もしくは姿勢を崩して聞いてもなにも問題のない事だと早く言ってほしい、という気持ちをありありと身体や表情の端々で表現していた。
膝の上に行儀よく揃えた拳の内側が、気付けばじっとりと湿っているのだ。
「ぎむ、きょういく」
言葉をオウム返しにした伊三路の身体がやや前のめりになり、眉を顰めた。
穏やかな稜線を思わせる様相を常とするはずの眉が目との距離を狭めて、険しく意味を聞き返す。
「ぎむきょういく?」
その様子を見て、祐も伊三路が何を意味して言葉を返しているかを理解できずに似た表情をする。
しばしの間が空いた後に、そもそも"義務教育"の意味を知らないのではないかと思い立っては、恐る恐るとも言える戸惑いを浮かべてから簡単な言葉に言い換えるのだった。
「進級できなくなる」
「しんきゅう」
「他の級友が三年生になったとしても欠席の多い者は学業を修めてないとみなされ、もう一年分を二学年の生徒として過ごすことになるということだ」
前のめりにことを聞きたがる姿勢のまま、重石を頭に載せられたかのように驚いた伊三路は呆然と口を開いたままで固まっていた。
「う、うそ……!」勢いよくはじき出された言葉に祐は素知らぬ顔をしては平然として返す。「事実だ」
 正確に言えば、カリキュラムの履修とその他の進級条件を満たせぬのならば進級できない理由をそれに限るわけでもない。
もちろん多少の程度に収まる欠席ではそうそう進級に関わるわけではないことを祐は知った上でいくつかの言葉を抜いて答えたが、伊三路はそれが全てであると思い込んでは怯えて背筋を凍り付かせていた。
まるで背に走った衝撃が居座っては毛虫の動きを持ち合わせ、皮膚をくすぐるかのようだ。
うぞうぞとした毛が生えている様と、それが動きに合わせて肌を掠めることを彷彿とするゾゾゾとした気持ちの悪さに似て肌が敏感となる。
寒気だ。恐ろしさである。
その感覚から逃げたがって背を逸らす。
おまけに信じられないことを聞いた際の仕草とする典型をそのままなぞって、口元を両手で覆う仕草をしたのだ。
今に飛び上がる勢いのそれは祐の想像よりいくらか大きい反応であったが、わざわざ訂正してやる必要もないとしてそのまま放ったまま片づけを再開する。
 なんでも自分は嘘をついていないのだから、勝手な想像ばかり不安に先行して膨らむのは茅間の空想が豊かであるだけだ。
どれくらい休めば進級できないかなどとは数字を出して語ってはいないのだから、この会話に嘘などない。
詳細を求められていないだけで、語る内容はすべて偽りない事実だ。
 伊三路がそこまでの詳細を知ることはまだ先のようにも思えるが、あまりにショックを受けている姿を前にして祐は嘘は言っていないということを自身に言い訳のように聞かせた。
勝手に打ちひしがれる様は不憫とすら思えたが、ここで助け舟を出せば今度は質問攻めになるだろう。
ならば今この瞬間はこれがいい落としどころである、と納得をして煩わしい会話を終わらせようとしていたのである。
「そんな」や「うそでしょ……?」と、伊三路は呆然として魂が抜けたように覇気のない言葉を零すだけになっていた。
ガクリと落ちた肩が、彼の持つカリスマ性すら思わせる自信をすっかりなくしている様によく相まって一見では小柄といっても不自然ではない背格好がより一回り小さく見える。
反対に、むしろこれで静かになるならばこの場面においては良いことなのではないか、と後ろめたさの思考を一周回ってきた祐はふと邪に考えて窓の外を見るのだった。
 普段ならば真っ先に下を向く視線が僅かに高く、遠くを向いている。
煩雑な住宅区画の隙間を埋めるように張り巡らされる細い道路を徐行する白い軽トラックと、その背を覆う深緑のビニールカバーをぼうっと眺めているのだった。



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