訪れた日々のうちで非日常に惹かれる以外にも、陽の光が当たるだけの日常にも、確かに今までにはない何かを見出している。
それを明確には言い表すことは出来ないが、漠然として、しかし確かに存在をしているのだ。祐の語る"繰り返すだけの毎日"は、泥沼の底なしに対して安寧して得る悲観とその悲観を馬鹿らしいと詰る強い否定から僅かに遠ざかっていた。
全てが"行きっぱなし"でないのならば、全ての選択肢と結果に善いか悪いかというだけの評価を下していくのならば、その限り常に結果はふた通りに弾き出されるのだ。
硬貨を爪で弾いて、裏表を想像することによく似ている。表裏が翻る度にそれが先に想像した結果に行き着くのかを不安に思う日々だ。
しかし、この日々はそれら一つの事柄に大袈裟な意味を持つことはなく、円が頂点を通ったと思えば再び真下をなぞって夜が来る。観測地点に終わりを決めない限り、そうだ。
 正しさを得ることと同時に直視の出来ない嫌悪を覚える。
結崎祐のほうがねじくれて言葉を受け取っていると注釈を付け加えることがなくとも、茅間伊三路の言葉は違いなく誰が聞いても理解のできる範囲ではただの理想であり、綺麗事だった。
斜にそれを眺めていてもどこかで一抹には期待をする祐の幼稚さを、茅間伊三路という人間は助長させている。
それを祐は自覚していたのだ。
 例えるならば、名を呼ばれて反射的に顔を上げるとする。すると視線が僅かに上がることで周囲の状況がより確認できるようになるのだ。
このようにして祐の中で過剰防衛する悲観たちには行先が変わることがなくとも、気づけば視線が以前よりもニメートル先を見ることをできるようになるだけの変化が、伊三路が現れてからの日々にはあった。
手放しで信用するに足るわけではないが、ただ本当に僅かに視線の通る角度を上げさせられたのだ。
自分のことながらに一番驚いているのは祐自身であり、そして自身で幼稚と定義するこの感情たちの根源に甘んじることは未だ強い否定をしている。
今から伊三路に伝えようとしている言葉に一等の否定をしたがっていても、勝手な期待を見出して絆されかけているのは自分である。
そのことを認めたくはなかったのだ。
長く息を吐く。
「何度語っても、つまるところお前と俺は利害の一致に近い関係であるだけだ」
 静かな語調は狼狽えるわけでも、反骨精神で言い返すわけでもない。事実然としてふたりの関係を言い表す前提だった。
「結果的に影響を受けることはあっても、思想を押し付けられる謂れはない。価値の秤が異なるんだ、思考の成果物として抽出された思想のみ押し付けることに意味を感じない。理解が出来ない」
結局のところ、言葉を理解し、無意識に近いところで期待をするような影響は受けていることを内心で認めるも、本来それを語る茅間伊三路の真意は想像も推測も、理解も出来ない。
そう言いたげな祐の言葉に伊三路はやや固い表情で頷くだけだ。
しかし、何度か相槌を打って祐の言葉をよくかみ砕くと、一層深く頷く。その後は、むしろその様相に安堵すらしたかのようだった。
祐はその表情を前に、やはり理解不能な言動をする人間であると伊三路を定義している。苛立ちすら覚えていた。
反対に、理解不能とされた伊三路のほうが喜び安堵したのは、非日常に蝕まれて思考を暗くするなと語った際の祐の言葉や意思の強さをこの今しがたの言葉の中でありありと感じられたためだった。
この話はおしまい、とでも言いたいかのようにケロリとした表情で話題の翳りを丸呑みにする伊三路は胸ポケットにお守りを収めながら照れくさそうに肩を竦めては大袈裟に笑みを浮かべる。
「そうさね。きみがそう思って語るのも、おれがどのようにして解釈をするかも、各々の"秤"だ。おれのきもちを聞いてもらえてよかった。きみの考えも聞けてよかった。いまのおれが思っていることはこれだよ」
ブレザーの襟から内側に手を突っ込んだままの恰好で締まりのない伊三路がそう語り、『怒っていること』の話題を締め括る。
「今日はそれでいいよ。時間は有限だけれども、いま切羽詰まって言い合いになる必要なんていうのはもっと意味のないことだしね。撒き……寄せつける体質のことまでは、まだきみも信じてはいなさそうだけれども」
 撒き餌という聞こえの悪い表現を避けたがった伊三路が言葉を訂正してから、訝しく思う祐の態度をひっくるめて心配しているのだと語る。
ぐいぐいと迫る勢いの姿にひとつ頷き、そして祐はため息をついた。
言いたいことが理解できないほど危機感に薄いわけではないが、いわば第三者にそう迫られるとよくわからなかったのだ。
与えられる心配が現実みを薄くするばかりなのである。
「……執着、という表現では聞き飽きているくらいだからな。驚かなかったといえば噓になるが納得もする。ないのはお前が俺にそれを決定的として信じこませるために明示できる根拠だけだ」
 言葉も他所に、次に襟元を弄り終えた伊三路の指先が掴んでいたものは紙を丸めて結んだような塊だった。
座るベンチで身体だけ向き合ったままの二人を繋ぐように、特に説明もなく差し出される。
それが受け取れという態度であること察するも、お守りの件で身構えた祐は受け取らずそれに視線を落としていた。
対峙する丸顔の頬や、手の複雑な隆起に被る日光が浮き上がって見えるほど白く感じて目を細めるのだ。
「この間のお守りみたいな相当に大事なものではないから、安心してよ。これは一回きりで役目を終える、昨日のおれが作ったものだからさ」
コミカルに指先を揺らしては結びの端を振り立てる。
 伊三路が差し出しているものは、一枚の紙を細く折りたたみ輪を描くほど余裕を持った下方で交差させ、その輪に片端を通して作ったような簡単な結びの飾りものだ。
御籤を結び付ける際の折り方によく似ている。しかし、端の方では日をいとも容易く透過していることから実に薄く、柔軟性のある紙でできているかを想像することは難しくはない。
習字で使うような半紙を思うと何かと想像に近い。表面は凹凸が少なく、極めて滑らかであるが薄い漉き紙であることは確かである。
強い光の透過光で輝く裏面に、周囲の反射を受けている。彩度の高い若葉やベンチの色がぼんやりと写り込んでいた。
「何かがあったときにこれを千切って。正確には中心付近が失われるならば手段は問わない。そうしたらおれはこれの効力が消失した場所を知ることができるんだ。町のどこへでもきっとすぐに駆けつけて、きみを無事に帰す」
続けては唇の動きだけで「やくそく」と語り、にかっと笑うのだった。
優しく、そして無邪気を思わせる弧の形に目を細める伊三路の姿を半分呆れのような安堵を得て見る。
 無言に圧倒されて受け取った祐が丁寧に胸ポケットへしまいこんだことを確認すると伊三路はほっとしたようになって肩の力を抜いた。
会話の中で努めて平時の己の再現をしたがっていた様子は向かい合うだけでありありと感ぜられたが、その丸顔における筋肉が強張っていることは明白であったのだ。
蕾が解けるようにして無意識にこもっていた身体の力を逃がすと、柔らかくなった身体は背もたれに完全として身体を預けていた。
そして溶けた体勢のまま残りの茶をすべて喉に流し込み、ペットボトルをゴミ箱のペットボトル用の穴へうまく投げ込んだ。
次いで腕の伸ばして筋肉をよく動かすと肩を上げ下げしては、胴から伸びているはずの四肢における動作を確認する。
座ったままの足の膝を閉じたり開いたりしているのだ。
その間に言葉を交わすこともなく、互いのだんまりに対して何を思うこともない。
一通りの関節と言う関節の動きを確認するが如くの勢いで存分に身体を動かしたのち、涼しい澄し顔に戻ると平然として腿の下へ手を滑り込ませて伊三路は足をぶらつかせることを再開した。
祐にとってはその伊三路の姿が何かを言い淀んでいるように見えた。
会話を続けたがっている、と感じたのだ。
明確に解散を口にしない以上は意図を知ることはない。ただ、彼らしくもなくだらだらと場を持ち続ける行動は何かを以てして継続されているとは思えるのだ。
ただ、切り出す術がないだけである。それだけで、意味もなくこの場に引き留められているのだ。
しばらく様子を窺っていた祐であるが、これ以上は本当に意味がないとして席を立とうとしたころになると、ようやく決心のついたような伊三路はぶらつかせていた足をぱたりと止めた。
横顔の丸みと、話すときには相手の目をきちんと見て訴えかけてくることが多い普段の様子はどこへやら、正面を向いたままだ。そして一切に目を合わせずぼやいた。
「……おれさ、視えないんだよねえ」
 まさに春の陽光に対して「今日はいい天気だなあ」とでも思わずもらすような、いかにも気の抜けた様相の独りごとである。
主語のない言葉を訝しんだ祐が思わずの警戒に顎をひくように竦めると視線が鋭くなった。氷のような色が翻っては伊三路の瞳の奥へ向けて意味を強く追求したのだ。
自らの独りごとから誘発したというこれらにとうとう観念をして、もしくはやっと切り出せるという安堵すら抱きかかえて伊三路は肩を大きく動かす。次にこれもまた大きな動作で立ち上がるのだった。
「蝕のことさね。この世界の理として存在する彼らの本来は……現在となっては普遍して当たり前になったような邪の性質を持っていなかったころの蝕は、この世界にとっての異物ではなかった」
ざり、と伊三路の靴底が中庭に敷き詰められたラバータイルを躙る。
涼やかな外観と緑豊かさの恩恵を求めて備えられた植え込みたちのせいで靴を履き替えずともの清潔を求めたはずの床材には結果的に若干の土が落ちている。それを伊三路の上履きは踏んだのだ。
悠々とした声が語りだす内容に対して、広げる風呂敷が随分大きなものだと祐は思う。同時に、いつにない緊張感に唾を飲み込む。
上履きの底が鳴ることとほとんど同じ間を以ってして存在していた。
「ごく小さいものが自然の流れと語ったように、捕食や繁殖はいきものとして当然の営みだった。時に飢えを極めることがあれば同じ種族同士で食い合うことも当然であったかもしれないね。でも、それは他と変わらなくいきものとして歴史と同じく進化をしたにすぎないくらい、ただそこで生きていただけだ」
風が鳴る。植え込みの方を見ているはずの伊三路の横顔が僅かに険しさを取り戻していた。眉が顰められていたのだ。
「ただ、他のいきものからは理解のできない性質があって、それは土壌の影響をよく受けた。恐れた他の者たちがわざわざ隔離めいたように呪術だの、陰陽だのといった力で穢れと定義したから、それはこの世界にとっての穢れとして等しく変質をしてしまったんだ」
 言葉が続くことに同じくして押し黙る祐は圧倒されたまま、足の底に無意識に入った力から大地と繋がっていることが広大な歴史の上に立っていることのように錯覚していた。
伊三路の話は長く、知りもしない辺鄙な田舎の言い伝えに過ぎないような話だ。そして気の遠くなるような時間の流れを思わせる。
しかしそれらはそのひとつひとつを詳しく知らないはずの祐にさえ想像を鮮明に掻き立てさせるのだ。
まるで見てきたことののように語り、その見てきたものを第三者に直接語り掛けるかのようにうまく想像をさせた。
この話術は時に、こめかみのあたりから自覚できる思考の在処がいつの間にか風船が如く軽いものとして飛んでいきそうだとすら思わせる。
絵空事のように上手くて来ていて、雄大で、尚も真実味があって、そして空恐ろしいとも思えるのだ。
訴える力が強くもたらすものは漠然とした不安に似ている。
己の知って来た世界とはまるで異なることのように思えるからこそ、未だ残る強烈な違和感は理解できないことへの恐ろしさや不快感へ昇華されるしかなかったのである。
祐はこの形容しがたい妙な気持ちの悪さを、胸焼けとも近似の不調であると言い聞かせて既知に当てはめては無為にやり過ごそうとしていた。
「一部の歴史が正確に伝承されずに失われてきたからこそ、今では卵が先が鶏が先かわからない記述しか残っていないのだろうけれども……蝕は決して突然に湧いてきた異物ということではなかったのさ。これは確かだ」
伊三路の視線が植え込みよりも遠くへ焦点を見定め、吊り上がっていた。睨みつけているとも言い表せる。
足から根を張ったままの祐はただ、それを近い距離で、まるで傍観者然として眺めているだけだった。
「そして、世の中にはそれら自然の流れが視える人間がいるんだ。この町は――村であったくらいの昔から、山深い地としての畏れや信仰が曖昧ながら発展していたし、人間の住みやすさという意味ではないほうの……あるべく自然としての豊かさであった土壌によって蓄えられた神性に似た力の影響をかなり強く受けていたからね。特異ともいえる性質を持ち合わせる人間もそれなりの割合で生まれる」
一度は言葉を切りかけたものの、呼吸をひとつおいて続ける。「あとねえ、これは他でも聞くことでもあるけれども、"こどものころだけ視える"って。まあ、ままあることさ」
ほう、と間を置く息遣いが耳を掠めていた。明るい土の色のような軽く柔らかな髪を揺らし、伊三路は振り返る。
「結局のところは先の通り、おれは視えない側の者に過ぎない。おれの目では見えないから、現状では何かがあってからじゃあないと動けない。人間に大きな害が及んではいけないから、なるべく噂に聞き耳を立てているのさ。大抵は賢く狩り場を得ようと努力をしているつもりみたいだけれども、人間の目にとっては十分に怪しい行動をする」
 静まり返った中庭に響く声だ。
伊三路の言葉はまるで時間を操ることに似ている。そう祐は考えている。
校舎に囲まれているはずの中庭だというのに煩わしい生活音は遠くのことに思えていた。
木々の表情を写し取る瞳にはやはり、少しばかり逃げたくなるような気持ちを祐は抱くものの、これに類する問答はあまりに求めた静寂に近いものだったのだ。
 茅間伊三路という人間が編入してきたばかりの頃に、彼に対して『自分はあなたのことを理解している』として他人に思わせてみせることに長けているという印象を抱いたことを思い出す。
つまり、男は得体の知れなさを隠しもしないというのに、妙な人懐こさを持ち合わせ、気付けば知らず知らずのうちに絆されかけているのだ。
祐は改めた気付きを得て心臓を握られたかのような気持ちになった。
抱いたことのない複雑を腕に抱えさせられている。
「相手は人間の生活をするための勝手も常識もわかってはいないみたいだしね。だから、それを先回って潰したいというのが理想だ。ただの理想でしょ、って言われるくらいに難しいことなのは、きみもよくわかるでしょう」
「撒き餌と居れば利害の一致で十分な効果が出せる。それでいい。異論はないが、元より"ともだち"の関係の方が気持ち悪くて仕方ないからやめてくれ。頼んでもいない」
とびきりの顰め面をしては吐き捨てて語った祐に伊三路は噴き出す。
「まってまって! そんな、責任感でともだちだなんて言わないよ。仮に悪事に加担させることが目的であれば、利害とか、共犯とか、ごまかないできちんと説明をするよ。おれはほんとうにきみと、ともだちになりたいんだって! これは逆立ちしたって変わらない!」
喰ってかかる勢いで迫る伊三路から背を思い切り逸らした祐が手の動作で目の前の勢いを落ち着ける。
思わずこぶしを作って力説していた伊三路は眉を急こう配よろしくの降下で眉の角度を困らせると、悲しげにしていた。
それでも絶対に言ってやらねば気が済まない、といった様相で言葉は勢いを維持して続く。
「確かに暦へ語ったように、役目を果たして初めて生活を得られるという側面ではその理由もある! けれども、生きるためだ。寒くって腹がすくのはだれだって嫌なはなしじゃないか。でも、おれにはきちんと別の意味をもってしてきみに思うことがあるよ」
「はあ」
根負けしては気の抜けた返事だ。
 祐にとって"撒き餌"もしくは"寄せ餌"として危険に晒すことの責任感から逃れるために仲良くするつもりならばそれほどおぞましいものはない、とでも言ってやりたい気持ちであったのだ。
しかし返ってきたのは『別な理由がある』である。
それが出まかせでも事実でも、ある意味では恐ろしいこと極まりないとして祐は心を無にすることへ努めた。
答えがそういったものであるならば仕方あるまい、打つ手なしだ、とため息をわざとらしく吐く他に些細ながらの抵抗を見せることは出来ないのである。
どこをとっても肝心な時に何を考えているかわからない相手なのだ。今すぐに理解できるわけもない。
「信じてもらうことは難しいだろうから、いまは信じてもらえなくてもいい。おれがきみに抱くものは責任感だけではない。語りたく無いことを聞きたいならば、語りたくなるまではこれしか言えない。本当だってことだけさ」
力の抜けたように伊三路が笑う。そしていい話であるかのように場が纏まりかけて、ひっくり返す言葉を口にするのだ。「いや、おれのはなしはいいんだって」
 仕切り直すようにブレザーの襟もとをピッと指先で正し、寝ぐせかそうでないかも怪しく跳ねている髪の毛を撫でつけて伊三路は身なりを整える。
姿勢正しくベンチに座り、そして身体を祐に向けた。
僅かに背を屈めて、微かに姿勢の崩れていた祐の視線と己の目の先をしっくりと合わせる。水底をさらって光が射すかのようだった。
「とにかく、きみの体質は信じてもらいたい。納得できる理由や経験があればおれの言っていることを信じて、少しくらいは気にかけてくれる。それがきみの言う"合理的"でしょう?」
「最善である理由に納得ができるならば従わない理由がない」
想像通りの答えに満足した伊三路が指を振り立て、ひとつひとつを丁寧に、互いの理解を擦り合わせるように説明をする。
「そう、つまり、それさえあればきみは今日の話の多くをきちんと受け取ることができるはずだ。やり方は無理を通すようにも見えるけれども、さっきの紙はきみが"非日常"や"怪異"として表現するような蝕の害を遠ざけることのまじないを強く施してある。最初に説明した通りにおれが向かうまでの時間は十分に稼ぐはずだよ」
 胸ポケットに収めた紙製の結び飾りを思い出す。
そんなものにどんな効果があるのだと言いたくなる気持ちもあるが、先日のお守りと似た気配を直感的に感じ取っていた祐は口を閉じて頷くだけの反応を示していた。
仮に効果を示すように追及したところで、相手に何度もこれを作らせるのも手間と言うものだということだけは強く自覚があるのだ。
「今回はきみにあれこれを求めて言わないけれども、ただ、きみ抜きで調査をして噂を聞きまわる目的のためだけじゃあない。きみがそれを千切るまで、許容範囲のうち限界まで、おれは向こうにいるであろうきみの性質に一滴の墨を落とした相手を探ろうと駆け引きをするつもりだ。もちろん、これらのすべてはきみの承諾と協力をもって初めて乗り出す話だ」
とても一存で決めることは出来ないと、窺うと自然と上目遣いになって伊三路は祐を見た。
反応を知ることに惑って恐る恐る向けられる視線であるが、言葉は強い意思がある。
この男を祐はマイペースであるとも感じる。つまり、"手っ取り早い"を遂行しなくてはいけないと自覚するときは、遅くても取り返しのつかないことになる可能性をきちんと見出しているということなのだ。
それがわからないほどの愚か者ではないつもりだと祐は思って返事をする。
「おれは一刻でも早くきみを危険から遠ざけたい。しかし、それを自覚してもらうに曰く手っ取り早いのは危険を冒さないといけないことらしい。おれはきみを守ることに努めはするけれども、生命のやりとりが存在する以上は絶対とまでは約束はできない」
校舎に囲まれた中庭の高い吹き抜けに声が響く。
「危険だということは言葉の牽制ではないよ。どうする?」
導かれて返答をする。
僅かな衣擦れを耳で拾った伊三路の方が強張り、揺れる。
互いの強い視線が交わっていた。
「……お前の行動計画を認める」



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