黙ったままを続けて三石は階段を上っている。
バラバラと屋根に雨が打ちあたる音に似た三人分の足音がしていた。高い位置にある天井で跳ね返る少し高い音として響く足音の様が、トタン屋根に打ち付けられる雨によく似ているのだ。
耳に入ってくる音だけを表現すればその通りながらも、まるで鉛を引きずるような足取りだ。その間も記憶を手繰り寄せる三石が疎らに会話を続けていた。
「ただ、会話を続けてると暦はやっぱり暦だなって思うんだよ。だけど、なんかな。助っ人に来てくれた奴はもちっとなんか、冷たいというか、そこまでじゃあないけど、なんか鋭かったな。イメージがさ。いくつかを会話として喋れば、たぶん、お前たちも知ってる感じだ。クソ、やっぱり困ってるとかヘンとか聞くとそっちに引っ張られるよな」
「まあ、『いま思えば』というものはそれだけ細かには意識をしていなかったということでもあるし、意識する必要すらもが要らなかったのかもしれない。仕方がないよ。それに『記憶と表象はよく結びついていて、それらを揺るがす情報が与えられようものならば都合よく改ざんされるものだ』と、それも『時間が経てば経つほど』とね、……そこの、ええと、名を祐というのだけど、うん、黒い彼さ。彼が最近の間で似たようなことを言っていた」
 伊三路と祐がしっかりと歩く様に比べて、三石は靴底を少しばかり擦って歩くような気だるげでいる。
どこか飄々としていてだらしないとも表現できる姿でいた。よく見れば僅かに猫背じみているのだ。秋になって葉を落とした枝に縋りつく古い葉にも少し似ている。
そしてなによりオカルトチックな恐怖に怯える様は彼の中に残る僅かに垢抜けない様を何倍にも大きくみせた。今や満ち溢れていたはずの自信すらなくしているようにも見える。
「無理に強いて思い出させるつもりはないんだ。なんだかいやだなと思ったら、きみはいつこの会話を切り上げても構わないからね。互いのために気の利いた配慮が苦手なんだ。おれはそれを承知しているから、そうされても気を悪くはしないよ」
それでもサッカーをしている彼の姿を暦はかっこいいとでも言いたげに語っていたし、女子生徒や他のクラスメイトも彼を頼もしいと思っているらしかった。きっと切り替えがはっきりしているのだと伊三路には窺い知る。
現に、伊三路の問いかけに応える言葉は語気こそ曖昧としていながらも、一つ一つの音がしっかりとしていて、回答として真摯なものであると言って大げさではなかったのである。
 時たまに話題が横道へ逸れながらも、足取りははっきりと一つの場所へ向かっていた。
二階へ上がるとしばらくして角を曲がり、校舎の西側へ向かっている。そして三石は突き当りの区画を囲う部屋の引き戸を引いた。
他の教室とは明らかに異なる材質をした引戸だ。
向かい合った正面から観察をして、引き戸の半分から上は硝子がはめ込まれ、下半分はサッシの延長線としてかのように同じ材質で形成されたアルミ製の建具である。
ちょっとした倉庫や小屋でよく使われている建具を再利用して持ち込んだ様相をしていた。
 三石が遠慮の一切をすることなく入室し、視線もくれてやらず慣れた手つきで照明のスイッチを押して点灯させていく様を見送りながら、まだ入室をしていない伊三路と祐は透明なまま余計な加工をされてはいない硝子の先に室内を窺う。
 室内は他の教室よりもほんの僅かに狭いものの、窓の面積は大きく備えられて暮れへ向かう薄い光をより多く、そして大きく取り込んでいた。
晴天であれば眩しいくらいに日を取り込むことが出来るだろう。そう推測するのは難しい事ではなかった。
そういったように大きな窓から推測できることも手伝い、また多くの生徒が頻度をもって出入りする気配が残っていることをすぐ傍で感じることのできるこの簡易的な休憩室は、部活棟の中では比較しても温かい場所であると感じられるのだ。人間の営む生活の痕跡が強く残っている。
一見するだけならばこの場所がほぼ西側に近い南西に存在するという日あたりに対し、配置の面で理想よりやや引けを取っていると思えるが、元より生徒たちの活動時間を考えれば放課後を主に活動するのだ。なるほどこのような条件で日を取り込むならこの方角であるべきである。
そして休日の日中や夏の暑い日にも活動することを想定するならば、この場所は炎天下に生きとし生けるものたちが焼かれて苦しむ時間には日が当たることは少ない。つまり、休憩室として最適であったのだ。
 清潔さを思わせる白色の丸天板が特徴的なテーブルと揃えて、同じく丸みを帯びたデザインをした椅子がいくつか並んでいる様から簡易的なカフェスペースとも思える。学び舎にしては洒落ているようにも思える内装をしていた。
室内を見渡し、掲示板やいくつも並んだ自動販売機を一瞥して祐は伊三路と三石が席に着くのを待っていた。
自動販売機のうちでも面積を大きく占めてサンプルを陳列する中から、ちょうどスポーツドリンクと炭酸飲料の直下のボタンに『売り切れ』の文字が浮かんでいるのをぼんやりと認めているのだ。
そして誰に促されることなく席に着き会話を再開する二人を他所に祐は、紙カップ売りの自動販売機へ近づくと徐にコインケースを取り出し、オレンジティーと冷たい緑茶を購入した。
 ボタン一つで指示を受けた機械によって受け口にカップが繰り出される。
待ち時間を示す数字が繰り下がっていく様をやはりだんまりとして、立ち尽くしているだけだった。そして飲料を抽出し、カップへ注ぐ細長い機械のノズルを眺めているのだ。
その間、極めて透明を務めることを継続して存在していた。抽出を終えてから自動で開かれた扉の中から飲料たちの紙カップを取り出すと、オレンジティーと冷茶のそれぞれをテーブルに着く三石と伊三路の前に置く。
「これはおれがもらっていいもの?」
「入り用ならばな。俺に言葉を寄越す暇があるならばさっさと三石という男子生徒を解放してやるべきだ」
ふたりのやり取りを聞きながら曖昧な笑みを浮かべていた三石は、間を保ちながら喉を湿らせるつもりで祐が差し出したオレンジティーのカップへ口を付けた。
「気遣いありがと。えっと、たすく、くん……?」
「……時間を取らせて申し訳ないくらいだ、気にされる方が困る。茅間が脱線するならばこちらも口は挟むが、基本的に俺を認識しなくていい。ただの付き添いだ」
丸テーブルの下で足を延ばしては冷茶で喉を潤していた伊三路は、背もたれにしっかりと背を預け、視線を上目にして背後でしゃべる祐の気配を意識していた。
そうして喉を潤した二人が息を長く吐く。
 伊三路は目を伏せたまま生徒手帳を取り出すと、すぐには開かず机の横に伏せた。ボールペンのノック部分を押し出したり引っ込めたりしてから手持ち無沙汰になっている三石にしっくりと視線を合わせるのだ。
「じゃあ、聞くよ。"さっかあ"部の伝統として存在する対立構造は耳にしたことがあるけれども、そもそもどうして試合に事足りないくらいの欠員が生じたの?」
「まー、それ、ホント形式だけだけどな。派閥とかじゃなくてまじで一年のときにくじ引きで決まるようなモンだし。対立構造が必要な理由も組の分け方も、運動会とおんなじってな。で、話に戻ると本来は補欠メンバーが居るワケ。本来は補欠の補欠の……補欠ってなようにどんどん繰り下がっていけば誰かしらコートに立つ奴は居るはず、なんだけどさあ」
 カップの底に映りこむオレンジティーの、特に明るい陽だまりの色を見つめてから、三石は大きく落胆した。
肩をがっくり落とし、そのまま雪崩れ込むようにテーブルの天板へへたれる。まるで泥のようにねばついた憂鬱が形を崩してこぼれ、広がっていくようだ。
どうにも発散のしようがない怒りと呆れ、そしてどこか落ち込んだ様子が明らかに見て取れるもので、伊三路までもがつられて正体をなくすように肩の力が抜ける。視線が下がるのだ。
視線を合わせて話すことを務める癖を無意識に実行して、泥の仲間入りをしかけている。同時に気の抜けた唇が半開きのだらしなさを助長していた。
交差した腕に顔を突っ伏していた三石は顔だけを持ち上げ、伊三路に対して強い目の力で訴えかけるのだ。
「喧嘩したんだよ。け、ん、か。最近伸び悩んでる部員がいてさー。補欠メンバーはいつも練習漬けだしそれに文句言わないやつばっかだから、他の補欠メンバー誘って気晴らしに部活サボって遊んで来いって言ったんだよ。裏では顧問の許可も得てたから、正確にはサボりではねーけど。まさかまさかのその先でさ。弥彦にぼこぼこにされてやんの」
更に、急に起き上がってファイティングポーズを真似て拳を構えた三石は空へ向かってボクシングの真似をするように拳を空へ向かって突き出す。
もちろん伊三路のいない方向へ腕を突き出していた。その先で拳はゆるりと力を抜かれ、指先は呆れたように空をひらりと扇ぐ。
最後に三石は落胆する様をコミカルに表現してわざわざ肩を一度もちあげてから、落とした。
そして愚痴を言い切るように一息で言葉を続けた。「来月に予定された隣町の高校と滅多にない交流試合に、どっちのチームがでるかっていう部内模擬試合だったのさ」
ようやくへらりと空気の抜けたように笑った三石は、紙カップに残ったオレンジティーの残りを一気に呷る。
テーブルにカップの底が当たるといかにも軽い音をてるのだ。空の円筒が、竹を打ち鳴らしたような高いばかりの音を響かせる。
「それが助っ人を必要とすることになった部内模擬試合の真相。該当部員はサッカーに関しては実に真摯だけど、もともと弥彦と悪友みたいなグループに居たことのあるやつでさ。まあ、そういったアレコレがあったんだよ。運がないよなあ。そいつも俺も。俺のチームのヤツじゃなかったら、戦力が削がれてラッキーなだけだったのに」
 傾けかけたカップが伊三路の唇をなぞるに留まる。丸い目が僅かに細くなり、瞬きが目に見えて増えていた。反して緑茶のカップに抽出のされきらなかった粉は沈殿するばかりだ。
三石はその視線を知ってか知らずか、試合の結果はさておき思い出して燻る悔しさを誤魔化そうとしてはカップの折り返しで厚くなったふちを前歯でかじっている。
「一年の時に引いたおみくじの結果がさ、忘れた頃に知らされた気分だよな。しかも、そこに書かれた運勢通りの出来事付きの。後出しじゃんけんじゃんかよ」
 伊三路は確信する。
やはり『偽物である日野春暦』が現れるところには弥彦伸司の行動が存在するのだ。端的に言うならばその"暦"は弥彦の尻拭いをするために、弥彦伸司の行動による被害者の元へ困っているときに現れている。
「……試合のあと、暦がどこへ向かったのか、それとも家へ帰ると言っていたのかなどを知っているひとは居る?」
「いいや。日が暮れたらいつの間にかいなくなってた。片付けまでは居たと思うんだけどな。だから少し遅くなったけど昨日の昼にお礼としてちょっとした菓子を持ってったんだ」
模擬試合の前後に関係する質問を幾つかするたびに三石は少し悩む素振りを見せたが、それらしい答えを返すことが出来ている。しかし当の『偽物である日野春暦』やその彼の言動については極めて曖昧であるようだった。
 思い出そうとすればするほどに曖昧で、まるで靄がかかる。正確には靄の正体は外的な要因とする蝕の干渉ではなく、言葉を紐解けばそれは『偽物である日野春暦』が個を悟らせない言動しかしていないということが察せられるのだ。
三石が本物の暦と接して感じた違和感はその"個"を含めて構成された人間の意思に触れて、蝕の見てくればかりの中に存在する洞のようなものを改めて見つめなくてはならなくなったからである。
あくまで彼が助っ人の暦に欠員の穴埋めをしてもらった際には、淵の存在を認識してこの先には穴がある、という程度に思っていたものが、今はそのぽっかりと空いた穴――蒼然たる無が続くばかりの洞を直接覗かせられている。そこが奥深くまで続くのか、すぐ傍に突き当たる壁を持ち合わせて存在する空洞なのかを認識することを改めて求められて穴を覗いているのだ。
それも、そこに何が潜んでいるのかも知らされずに。
残酷である。伊三路はそのことを些かに申し訳ないと思う気持ちがあったもののこれから接する必要が出てくる人々のひとりひとりに、この世界の大半の人間は知らずに生涯を終えて、そしてそう終えるべきである生命に、実際には存在する裏と表のうちで、しかもわざわざ反対の側を説明する気にはなれなかったのである。
骨を折るのも折られるのも好き好んで望むわけではない。言葉による例え話と教訓とはまことに言い得て妙である、と、形容詞と慣用句のすばらしさを冴え冴えした頭の隅っこで考えているのだ。
「そう。ありがとう。……祐、これはやはり弥彦伸司に関する事柄に偽物の暦は反応している。彼の周りで行動を起こせば、暦の感情を揺さぶることが出来ると思っているのかもしれないね。どう思う?」
 ぽつりと伊三路は呟く。やることもなく周囲の椅子を引きだして座っていた祐は、伊三路が己のほうへ一瞥もくれなかったように、祐もまた視線の一つもくれずに答えるのだ。
「思うことはあるが、ここで回答することに関しては適切ではない」
前を向いたままの伊三路が口を開こうとすると、背後の男と言葉を交わす様に置いてけぼりにされていた三石が不思議そうに首をひねる。
「ニセモノノコヨミ? いったい何の話だ?」
伊三路と祐のやり取りに対して当然の反応が会話を遮ったのだ。聞き取れた語句の中で引っかかりを見た三石のぎこちない言葉を聞いて、面倒ごとの気配を感じた祐は思わず伊三路のことを口汚く罵ってやりたくなった。
『お前が余計なことを言うから、面倒事がまさに今ここで起きてしまうではないか』。視線がまるでそんな言葉を浴びせるかのようにじっとりと舐めつける。
その視線に対して、また目下の課題に夢中になって周囲を憚らなかったことを自覚した伊三路が静かに背を正していた。ため息が間を繋ぐ。
「こちらの話だ。悪かった。事の顛末くらいは伝える努力をする」
ついぞ収拾がつかなくなって、『しまった』と思いつつも思考を辞めることが出来ず唇に触れる癖を継続し考え事をしている伊三路の首根っこを掴んだ祐が引き摺って出て行こうとすると、同じく退室をするために紙製のカップをつぶそうとしていた三石が声を上げた。
「まあ、お前たちの話を聞く限り俺や周囲の人間の話でも限界があるだろ。あれ、ん? ホラ、ちょうどあそこを歩いてんの、暦じゃね? ここまで来たら聞いた方が早いじゃん。あのイチョウの木のあたりに見える」
 窓の外、三、四メートル下の地上を歩く暦の表情を確認することは出来なかったものの、少し前を共に歩くのは暦の生活態度からは付き合いがあるとは想像もできないような派手な容姿をした男子生徒だ。
辛うじて引っかかっているだけのように羽織るブレザー、猫背、きちんと足を通さず潰して履いているであろうスニーカーはつっかけのように踵の生地が不安定でいる。
何より脱色をしては西日になおも色を飛ばさんばかりの金髪だ。日野春暦の交友関係において、このような見た目の人物は候補がただ一人になるまで絞ることが容易に可能であることは言うまでもない。
弥彦伸司だった。
どこからどう見てもこれから恐喝が行われるであろう現場を見ている気分になる。
三人は窓際に寄ってその様を眺めていた。
「ウワッ! 弥彦までいる……」。感嘆符のたくさん付きそうな勢いで嫌悪を露わにした三石は鼻に皺を寄せている。
普段であればそこまで嫌悪は募らないものの、今回ばかりは私怨が燻っていたために三石の表情は歪んだのだ。
ある意味では日常に希釈されてしまったような光景に、言いようのない不穏が漂う。
いやな緊張が緩んでいた空気中の水分を一気に熱したかのように走るのだ。
その違和感を見出すために目を凝らしていた伊三路は、次の瞬間にすぐその噛みあわない強烈の正体を知る。
数メートル後ろから暦と弥彦を追いかける姿があるのだ。その姿は正義感をもって制止に入ろうとする生徒でもなく、生活指導を行うために弥彦の登校を今か今かと待っている風紀関係に精を出す教師でもない。はたまた、弥彦の不良仲間でもない。
 瞬間、伊三路はぞっとした。体中に怖気が走り、毛穴が開いた。髪の毛が僅かに持ち上がった気すらしていたのだ。
追いかける姿はもう一人として存在し得る悩みの種、または未だ本人たちが直接の邂逅を果たしはしないと思い込んで今しがたも探っていた"暦の記憶にない日野春暦"――偽物の日野春暦本人であったのだ。
足をもつれさせながら追いかける第三者が暦と全く同じ容姿をしていることに驚いた三石が「双子だったのか?」とでも伊三路に聞くために口を開くより早く、伊三路は走りだした。
アルミ製の引き戸を勢いよく開ける。そして勢い余って建具のレールを端まで叩きつけるに留まらず引戸は半開きの形までより戻っていた。
それにぶつからないように半身を翻して廊下と室内を隔てるドアを潜り抜ける祐を確認して伊三路は同様に荒んだ声を上げた。
「二人の暦が出会ったら確実にまずい! 手遅れになる前に急ごう、祐!」
 転がるように階段を駆け下りた伊三路は一階から外に出ることのできる昇降口を探す暇もなく、適当な部屋の区画に飛び込み、屋外へ通ずる重い扉を開け放った。
当然のことながら上履きを履き替えることもなく、角をも半分は滑るような勢いで曲がると、摩擦熱に焼ける靴の底も顧みず暦たちの見えた場所へ急いだ。
 運動量にふさわしい血液を巡らせるために早く動く心臓と、冷たく息を循環する肺の息遣いが聴覚を満たしていた。
構わず先を行く伊三路を祐は追いかけている。
この場面で伊三路におくれを取らずについていくことに理由はなかった。現に祐と伊三路の体力の量には開いた差も存在する。
どうせ何かを成せるわけでもないのだから、ゆっくりついて行っても詰られすらしないのだ。むしろ、当然である。
遅れて場に辿り着くことが伊三路と祐の間で成立する"ともだち"の履行に反するわけでもなく、逆にそちらの方が『祐の命を危機から守る』という意味では適切だった。
しかし祐がなぜ伊三路を真剣に追いかけているかというと、己の中で非日常を渇望する欲を満たしたいからであった。同時に、伊三路に抱いた希望とも期待ともとれるあやふやな光の正体を見たがっている。
そしてなにより微かに過る不安としては、その先に既に暦たちが居なかった場合を想定すると、完全に焦っている伊三路の思考が正常に機能するとは思えなかったのだ。
推測した一本道をそのままなぞるように、校舎脇の開けた場所にはようやっと初夏の気配を漂わせている緑があるばかりで暦たちの気配は存在しない。
風に耳を澄ませても、地の刻む足跡をなぞろうにも気配が既に限りなく薄くなっている。
焦りから苛立ちに近い感情をそのまま表情に浮かべる伊三路が周囲を眺めているところに追い付いた祐は息を整えるより早く言葉を紡ぐ。
きゅう、と緊張した肺が呼吸に痛みを覚える。喉が締まって声量がさらに絞られる中で祐は大きく短い息を押し出した。
「ここに何の捻りも必要ない。最も人間の気配が少ない場所だろ」
語尾がかすれる。
この学校の立地を二人は思考した。そして真っ直ぐに、間違いなく解は一点へ導かれる。
言葉を得てようやくに焦りに思考が焼き切れそうになっていた伊三路に僅かな冷静が宿る。
弾かれたように顔を上げた伊三路に祐は息を大きく切らし、頷くことしかできなかった。
そして二人の声は一字一句を違えることなく揃うのだ。
「――部活棟の、裏……!」



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